中国関係

2009年8月28日 (金)

中国人の中華思想は骨絡み

 中国人に関する本を読むと必ず書かれている重要な項目の一つが「中華思想」である。これは中国こそが世界の中心であり、文明の担い手であって、回りは全て蛮族であるとする歴史的に長い伝統を持つ中国人独自の考え方である。この考え方はどうやら中国人の骨絡みであるようだ。ところで「骨絡み」という言葉の意味をあらためて確認しようと思って国語辞典(新潮現代国語辞典)を調べたら次のように出ていた。
 骨絡み ①梅毒が全身に拡がり、骨髄に入って疼き痛むこと。
        ②物事が深いところまで浸透していて容易に除けないこと。
 私は②の意味しか知らなかったが、①が本来の意味だったのである。今回私は中国人の中華思想について「骨絡み」という言葉をたまたま使ったのであるが、これは全く適切な言葉遣いであったのだ。「中華思想」は中国人の歴史的病なのである。それも全く重症で、癒し難いものなのだ。
 「中国人の中華思想」が私の頭に昇った切っ掛けは、昨日台湾の台風被害への慰問のためにチベットのダライ・ラマ14世を民進党が招請することとしし、それを馬英久政権の台湾政府がこれを認めたことに対して中国政府が「断固反対する」として民進党を非難する声明を発表したことであった。中国政府は自国のことに関して他国の政府が批判したりするとすぐに「内政干渉だ」と反発するのが常だが、今回の台湾へのダライ・ラマ14世の招請に関して「断固反対する」というのは、中国政府の大好きな言葉である「内政干渉」そのものではないか。どうも中国共産党王朝(これほど中華思想に骨絡みなのだから中国共産党の指導者は中国伝統の王朝の天子・皇帝と同じである)は台湾を、チベットや新疆ウイグル自治区などと同じように、台湾住民が望まなくても自国の一部と見做しているようなのである。これほど手前勝手な国家は世界にも他にないのではないか。
 中国は市場経済を基本とするとした経済改革によって経済的には大国となったが、さらに政治大国として世界に君臨したいと考えているようだが、これこそは「中華思想」そのものの現れである。「中華思想」という異常な考え方を持った反民主主義の国家が世界にのさばるのは大いなる世界にとっては災厄以外の何物でもないと私は考える。私は中国人というものを、特に中国共産党王朝の本質を正しく理解して安易にその主張に賛同してはならないと考える。日中友好の名の下に過去に行なってきた日本政府の経済援助などは、自民党の政治家の不勉強による「歴史認識の過ち」を示すものであり、日本国民に対する裏切りであったと言っても過言ではないのである。今回政権を取ることがほとんど確実と思われる民主党も、その重鎮である小沢一郎氏が親中国派であるのは非常に問題であり、その点をシッカリと日本国民は見張っていくことが必要である。それでなくとも、小沢氏の人間としての資質には大いなる疑問符が残っているのである。とはいえ今回自民党を政権から引き下ろすことは日本のためには完全に良いことではあるのだが。
 翻って自民党の動きを見ると、選挙運動で麻生首相が言っていることは出し遅れの証文にすぎない。何故もっと政権党であった時に早くから行なわなかったのか。自民党惨敗という報道がなされた結果の危機感が言わせているに過ぎない。麻生首相が声を上げて訴えている自民党の政権担当能力も経済成長政策も所詮官僚頼みのものでしかないのだ。自民党は自らの不勉強を官僚頼みでやって来て、その結果膨大な官僚たちの無駄遣いを許してきたが、そのことを全く反省していないではないか。

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2009年6月22日 (月)

中国崩壊論 WHY?

 中国が今や世界的な経済大国であることは誰もが認めることであるが、それにもかかわらず一方で「中国崩壊」という意外な予測をする人が少なくない。今を時めく国についてこういった否定的なことが少なからぬ著作家によって語られると言うことは珍しい事態である。 ところで私が「中国崩壊」という言葉を初めて知ったのは、アメリカ在住の中国人ゴードン・チャン氏の『やがて中国の崩壊が始まる』(草思社)によってであった。その後井沢元彦氏や台湾人の黄文雄氏などそのテーマの本を読んだが、最近元日本経済新聞記者の水木楊氏の『北京炎上』(文春文庫)を知って今読んでいる最中であるが、中国の共産党政権というのは知れば知るほど嫌悪感が湧いてくる存在である。私が今まで読んだ中国関係の本で知る限りでは中国人民はいつも皇帝制度の下で食べることに苦しんできていて、そのために食人という習慣さえ歴史上起こり続いてきていて、魯迅の小説『狂人日記』でも食人の習慣が触れられているくらい当たり前のことであったのだ。そして清朝を最後に皇帝制度は終焉したのであるが、共産党政権は毛沢東の指導した大躍進などの愚劣な政策によって大飢饉を引き起こし、千万単位の餓死者を出したという。国民をまともに食べさせることもできないそうした経済政策の失敗はようやく鄧小平の市場経済の導入によってようやく克服されたのであったが、今度は市場経済制度のもたらす所得格差が極端に拡大する一方で、共産党幹部の腐敗によって農民の土地収奪などが頻発して、農民の不満が全国的に蓄積していっているようだ。他方高橋五郎氏の『農民も土も水も悲惨な中国農業』(朝日新書)によると、土地所有制度の無い中国では農民が農地を大事に扱わないことと共産党政権が農民に対して愚民政策で教育を与えなかったことが農業の基盤を掘り崩しているという。その結果どのようなことが将来中国で起きるのか、考えると怖い話である。
 中国崩壊論を論じる人たちがその共通の根拠とするところは、農民の極端に低い所得が共産党政権に対する不満をかき立てているということである。
 私は昨年アメリカ発の世界金融恐慌が起こるという信じられないような真逆の事態を目にすることができたが、今後万一中国崩壊つまり中国共産党独裁政権の崩壊をも見ることができるとしたら大変な歴史的な体験をすることのできる世代であったと思うのである。水木氏の小説はまだ半分ほどしか読んでいないが、『上海クライシス』(集英社)で春江一也氏も描いているように中国共産党政権は秘密警察による国民の抑圧抜きでは国を治めることができないという体質であって無理に無理を重ねて中国国民を統治しているにすぎない。
 私は新聞記者出身の水木氏のジャーナリストとしての感覚が中国崩壊を予想しているということには相当の信頼性を感じるのである。どれほど経済的に大国になったとしても中国は政治的に根本的な欠陥を有する国家であるから世界のリーダーとはなりえない国である。しかし中国政府は覇権国となって世界をリードしたいと考えているようなのである。今イランでは大統領選挙の結果をめぐってデモが起きているが、中国という国ではそうことさえ起こりえない反民主主義の国家であって、イランよりもたちが悪いのである。中国政府の崩壊は世界の人たちが世界平和のためには正に一番に望むべきことであると私は考えるものである。

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2009年6月 5日 (金)

中国政府からの欠陥製品の相互通報体制の提案って本当?

 今日(2009/06/05)の日本経済新聞朝刊に中国の王岐山副首相が、「中国製品の品質向上や食品安全に向けて、日中両国で欠陥製品を通報し調査する仕組みを導入するよう提案した。」と報じていたが、これを読んで私はすぐに大洋食品の冷凍ギョーザ事件の解明が全く中国側の怠慢か意図的なサボタージュ(恐らく迷宮入りを意図したものであろうが)によって頓挫していることを思い出して、酷く不愉快な気分になった。いつでも自分たちに不都合なことは徹底的に隠し通そうとするのが中国の伝統的な対応なのであるが、日本政府はこの中国側の提案に対して、ハイハイと何の疑問も抱かずに応じるつもりなのか。もしそうだとしたら、日本政府は何と情けない抜け作であることだろう。それは自民党の国会議員たちが中国に対して毅然とした対応ができないからなのだが、いくら中国が日本にとっての大きな貿易先であっても、筋を通すべきところは通さなければ中国政府によってとことん舐められてしまうのである。
 そもそも中国人は日本人から見ると全く面の皮が厚く腹黒な連中であって、そのことは中国人自身が書いた『厚黒学』(徳間文庫)を読むと一目瞭然である。著者の李宗吾によると、中国で英雄豪傑といわれた人たちは徹底的に面の皮が厚くまた腹黒い人たちであったということであるが、未だに中国政府の対応を見ると「厚黒」の伝統は完璧に維持されているようである。
 中国政府は都合の悪いことは徹底的に隠し通そうとする。例えば今日のNHK・BSニュースに映し出されていたことだが、天安門事件20周年ということで外国メディアが天安門で撮影しようとするとそれを私服を着た連中が雨も降っていないの傘をさしてカメラの前に立ちふさがりレポーターの話すところを徹底的に遮ろうとしていた。暴力的でないだけましなのだが、それはレポーターが外国人だからであろう。もし中国人なら直ちに暴力を用いても逮捕したに違いないのである。全く中国政府のやることは一面においては全くの偽り行為そのものなのである。イギリス政府は、アラビアのロレンスと呼ばれた男が中東で活動していた第一次大戦の頃、2枚舌・3枚舌の外交を行なって中東に大きな禍根を遺したのであったが、現代では中国がイギリスのやったことを繰り返して恥じないでいる。しかし本来中国人こそが2枚舌・3枚舌の元祖であり、厚黒学の徹底した実践者なのである。
 こうして中国の王岐山副首相はお得意の厚黒学を実践して、冷凍ギョーザ事件の解明などは頬被りして日本の進んだ品質管理のやり方を盗み出そうというのである。この提案については、日本に果たしてどれほどのメリットがあるのだろうか。中国からの輸入に依存する部分はなくならないだろうから中国製品の品質向上そのものは確かに日本人にとってもメリットであるが、中国製品の大きな品質不良の問題については中国政府に原因解明の責任を負わせることを必ず約束させなければならないと思う。もしそれを誠実に実行しない場合には日本政府は直ちに輸入停止の措置をとることができるようにしなければならないし、またその輸入停止措置に中国が報復的に対抗措置をとることができないようにしなければならない。そういう点に対して日本政府は毅然とした態度で交渉に臨んでもらわわなければ困るのである。

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2009年3月23日 (月)

宦官制度と官僚制

 中国人と中国という国に興味があって中国関係の本を比較的よく読むのだが、最近読み始めた寺尾善雄氏の『宦官物語 男を失った男たち』(河出文庫)は、思っていた以上に面白い内容であった。
 宦官の制度は中国の皇帝制度と表裏一体で存在し、清朝が消滅した時にやっと終焉を迎えたのであった。われわれ日本人は、宦官というと中国にのみ存在した制度と考えていると思われるが、実はそうではないのだと寺尾氏は言う。
 「中国の宮廷、後宮というと、必ず頭に浮かぶのは宦官だが、これは中国の特産物ではなくて、古い時代には、エジプト、ギリシャ、ローマ、トルコ、朝鮮と、アジア全域から地中海にわたって存在し、朝鮮でも李王朝の末期まで、中国と同じように有ったのだから、宦官が存在していなかった文明国は、世界で日本だけということになる。」(P3)
 私自身、この本を読むまで宦官というものが世界的に普遍的な存在であったとは知らなかったのであるが、日本の場合、例えば天皇の住んでいた朝廷では皇后とその世話をする女官というものが存在し、天皇の夜伽も仕事としていたが、だからといって彼女らを男から完全に分離するために「男の機能を失わせた男」としての宦官というものを使おうとは日本人は考えなかった。日本は中国文明を積極的に取り入れたにも関わらず、宦官制度だけは全く取り入れなかったのである。
 寺尾氏によると、宦官は皇帝の夜の生活の手配をして、場合によっては「時間制限の拘束」などをさえ行なっていたという。しかし宦官という存在がいなかったからこそ、源氏物語では、桐壷帝の後宮の一人であった藤壷が体調を崩して里帰りした時に光源氏がそこを訪れて藤壷と密通する場面が描かれているが、実はこの前にも既に関係はあったのだ。天皇の女と関係するなどは勿論許されることではないのだが、それでも中国のような宦官制度を必要と考えなかったところに、私は日本人のおおらかさを感じるのである。徳川幕府の大奥制度でも男子との交流を厳しく制限したが、やはり宦官などという醜悪な人間は必要とは考えなかったのである。
 なお中国では古く殷の時代から宦官は存在したとのことだが、去勢という形で男の機能を失わせる宦官が発生した理由を寺尾氏は次のように説明している。
 「同一民族同士の農耕社会には奴婢はいても宦官は存在しなかったことを見ると、遊牧民族が動物を飼いならすために用いた去勢という行為を、異民族支配に採用したのが始まりである。」(P50)
 中国の皇帝制度においては宦官の存在は、その問題点が指摘されて理解されることはあっても、そのために宦官の存在をついに全面的に否定する人間は一人も現れなかったという。中国社会においては宦官は絶対的に必要な悪として認識されていたのである。そして王朝における宦官の人数は優に1000人を超えて存在し、明朝では万を超えていたという。そこにはわれわれ日本人が伺い知ることのできない何かが有ったのである。そのことを寺尾氏は次のように書いている。
 「私たち日本人からすれば、何とも不思議な話だが、そこに中国の特異性、日本人との差、中国社会の深層にある何か得体のしれぬ物を、感じずにはいられない。」(P4)
 またわれわれ日本人のほとんどは、宦官が政治面で大きな影響力を持ったことを知らないのだが、それは中国史の王朝の興亡の歴史において宦官が果たした役割がほとんど描かれることがないからであろう。しかし寺尾氏の本を読むと、宦官は皇帝を立てたり、暗殺したりさえしていたのであった。
 中国というと、官僚の選抜のための科挙の制度が有名であるから、政治の実態は皇帝と科挙を通った官僚によって行われていたと思われがちであるが、日常生活の世話をする形で皇帝に密着していた宦官は、幼い皇帝や暗愚な皇帝の場合には皇帝を操って政治を壟断してさえしていたのであった。宦官の政治関与に関して寺尾氏は次のように書いている。
 「歴史を通観すると、宦官の政治関与が見られぬ王朝は皆無であったと言ってよい。だがこれは単なる一個人の罪ではなく、専制主義の持つ必然的な悪である。」(P4)
 「宦官は暗黒専制王国の産物であると同時に、宦官集団そのものもまた、一個の暗黒専制王国であった。・・・・・ほんの一握りの宦官だけは運よく支配層の一員にまで這い上がり、この暗黒専制王国上層部として、悪逆横暴の限りを尽くした。」(P4)
 ところで絶対的な権力を持つ中国の皇帝というと、何でも決めることができるとができるとわれわれは思うのだが、実はそうでもなかったことを寺尾氏は描いている。『ラスト・エンペラー』という映画で描かれた清朝最後の皇帝溥儀の日常生活を寺尾氏が描いたのを読むと、皇帝が宦官によってある意味では拘束さえされていたことがよく分かるのである。皇帝溥儀は紫禁城の外に出たこともなく常に身の回りには宦官がいて、着替えも何も自分で行なうこともなくて、ある意味では意思能力のない無能力者なのであった。つまり全くの世間知らずのプータロウであったのだ。
 こうした宦官の行動の仕方を見ると、彼らは官僚と変わらない。宦官たちの行動原理は前例墨守の官僚と同じであった。彼ら宦官たちには、支配される側の人たちに対する責任意識などは全くなかったが、私には現代の日本の官僚たちもほとんど同じなのではないかと思われてならないのである。

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2009年2月 9日 (月)

義和団の乱と清帝国

 中国に関心が深くなって色々と本を読んでいるが、たまたま読み始めた三石善吉氏の『中国、一九〇〇年 義和団運動の光芒』(中公新書)で意外な事実を知った。義和団事件の本当の原因がキリスト教であったということである。三石氏は清を『文化帝国』と呼んでいる。そして清朝は宗教的寛容を持った朝廷であったという。
 「中華帝国は儒教を正統教学とし、キリスト教徒、回教徒、また仏教徒であれ、帝国の正統教学である儒教的価値体系に挑戦してそれに取って代わろうとしないかぎり放任したのであった。」(p9)
 それに対して西欧列強は中国を蔑視し、徹底的に征服し収奪しようとした。しかし西洋列強の征服欲は単に中国に対するものばかりではなかったのである。三石氏は次のように書いている。
 「(西欧の)合理主義の流れが、宗教と政治と産業の革命を経て、進歩の思想、工業主義、人民主権主義などの武器を満載して、全世界を征服しようとしていた。」(p16)
 そしてキリスト教徒は全体として中国を蔑視していたという。特にプロテスタントにその傾向が強かったのであった。
 「イエズス会士たちは中国の文明に大きな尊敬を払っていたが、逆に、プロテスタント宣教師たちはヘーゲルに代表される中国蔑視感を強く共有していた。いや、単にプロテスタントだけではなく、十九世紀のすべての欧米人は、深く進歩の思想にとらわれており、変化のない・遅れた・異教徒の住む中国という鏡に照らしてはじめて、西洋文明の優位を確認したのである。」(p16〜17)
 西洋列強が中国を侵略し始めたのは19世紀であったが、「十九世紀後半はまさしくこのプロテスタント的世界観が世界を覆っていた時代である」(p17)という。そして中国を侵略した西洋人とは、「キリスト教に凝り固まった当時のヨーロッパ人」であったとのこと。
 なぜキリスト教徒はそれほどに侵略的であったのか。キリスト教徒は昔から侵略的であったのではないか。15世紀末から16世紀に南米大陸に進入して原住民の奴隷使役と虐殺を行なったのはカトリック教徒のスペイン人であった。キリスト教徒でないもの、異教徒は、キリスト教徒にとっては悪魔なのであったから、異教徒を殺すことに何の道徳的制約もなかったのである。
 三石氏のこの本は清朝の義和団の乱を扱ったものであるが、思いがけず現在の共産党独裁政権の根本体質を言い当てている文章があった。
 「支配階級は、いつでも、どこでもそうであるが、一人一人の人民には全能者として立ちあらわれるが、集団化した人民には滅法弱い。したがって、ひたすら人民の団結を恐れ、これを禁じ、集団と見ればただちに、その真の姿とは関わりなく、これを弾圧した。・・・・集団を恐れる支配階級のこの猜疑心・・」(p48)
 これこそは天安門事件の本質を言い当てているのではないか。
 キリスト教徒は、「文化帝国」清朝の宗教的寛容に付け込んで中国大陸の内部に入り込んだが、「教会が民家を強制的に壊して教会堂を建てたとか、農民の土地をだまして教会の財産にしてしまったとかいう話も数多く報告されている。」そうである。南米でスペイン人が行なったのよりはましだが、中国でも非常に傲慢な行動をキリスト教徒はとっていたのである。またキリスト教徒は全体として、キリストの教えに反して非常に強欲であるように思われる。なぜなのか。
 また布教活動の結果として獲得した信徒はどうであったかというと、「教会は信仰を強制し、信者になるものは、たいていろくでなしかごろつきで」あったそうである。ここに見られるのは、教会としての勢力拡大欲だけである。キリスト教の精神などは何ら顧みられていなかったのである。キリスト教の布教者たちは侵略の先兵であったにすぎない。そしてそのことを何らは恥じていないのである。
 ところでこの本によって初めて知ったのだが、中国においては武術というのがいかに社会に深く根付いていたかということであった。義和団はキリスト教徒が余りにもあくどいことをして農民などを苦しめていることに反発して、キリスト教徒を中国から追い出すことが目的であったが、それを指導したのがカンフーの指導者などであった。そしてキリスト教徒の追放はひいては西洋列強を逐い出すことに繋がるのであった。キリスト教宣教師の悪業がなければ義和団の乱は起こらなかったのだとは私は全く知らなかった。こうしてみると世界史におけるキリスト教の影響は全く凄まじいと私は思う。

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2009年1月25日 (日)

中国人の体質には全く呆れてしまう

 冷凍毒ギョーザ事件の当事者である天洋食品の回収したギョーザを地元の企業が買って従業員に配ったところ、体調不良を訴えた人たちがいたという中国の報道がNHK・BSニュースで昨日(2009/01/24)報じられていたが、今日(2009/01/25)のニュースでまた同じ報道がなされていた。しかし内容が一部変更されていて、体調不良になった人のなかには治療を受けなくても1日で回復した人もいたと報じていたとのこと。天洋食品の責任を曖昧にするための報道ではないかと、アナウンサーは疑いを向けていた。
 また先日、乳児用の粉ミルクにメラミンを混入させて販売していた乳業メーカー・三鹿集団の製造担当者ら2人に死刑判決が言い渡されたというニュースが新聞に載っていた。三鹿集団は乳児に健康被害が生じていることを知ってから後も、9ヶ月間もメラニン混入を行なって製品を販売していたという。中国人は、お金のためなら我々には信じられないような行動を平気で取るのである。少し考えれば、そのような有害な食品をこの先も販売しつづけることなどできないと判るはずなのに、中国人は目先の利益に目がくらんでしまうようだ。
 冷凍ギョーザについて私が不思議に思ったことは、回収した製品を天洋食品では何ら分析もしなかったのだろうか、それとも乳業メーカーと同じように農薬汚染を知っていながら売り渡したのか、一体どっちなのだろうかということである。乳業メーカのやっていたことを踏まえると、後者のケースもありうるのではないかと疑ってしまうのである。また購入した地元メーカーの経営者たちは、回収された冷凍ギョーザの危険性を全く考えなかったのだろうか。これも何とも解しかねる話である。
 これら二つの事件を通してハッキリと判ったことは、中国人は製品の品質保証ということに対しては全くわれわれ日本人などの意識とは隔絶した低い状態にあるということである。言い換えると、中国人の民度は全く程度が低いということだ。子供用のおもちゃに平気で鉛を使用するなどといったこともその現れである。これは、中国共産党政権の愚民政策の結果といっていいだろう。共産党政権にとっては、国民統治のためには大いに好ましい政策だったのだろうが、世界に開かれてWTOにも加入した今となると、その結果は輸出の制約要因になってしまっている。
 中国人のこの体質は一朝一夕には改善されないだろう。また自分たちに都合の悪いことは、誤魔化して隠してしまおうという基本的な体質も相変わらずだ。冷凍毒ギョーザ事件の中国側の捜査が一向に進展しないのも、中国政府が捜査を抑えているか、または捜査の結果を表沙汰にしないことにして日本政府に通知しないからだろうと思われる。中国人というのは平気で嘘をつき、自分たちの過ちを絶対に認めようとしない国民だそうだが、これらの事件の様子を見ると本当にその通りなのである。
 私は個人的には中国人や中国製の製品にはできるだけ関わらないようにしたいと考えている。価格が安いだけが取り柄といった中国の商品を、その危険性を無視して買うのはリスクが高いと思うのだ。

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2008年11月14日 (金)

マスメディアに現れた中国の嘘

 中国のマスメディアはすべて、中国政府の検閲の下にあると、中国人の何清漣女史は著書『中国の嘘 恐るべきメディア・コントロールに実態』(扶桑社)で書いている。最近このことを証明する良い例が、日本経済新聞に出ていたので紹介する。
 2008/11/6の日本経済新聞朝刊に、「厚労相発言趣旨『改変』に苦笑 中国のテレビ記者会見」という記事が出ていた。少し長いが全文を以下に引用する。
 「中国のテレビ局のインタビューで『食の安全』について語ったら、編集で発言の趣旨が『中国の食品企業の市場チャンス』にすり替わった------。舛添要一厚生労働相が五日の記者会見で、苦笑しながらこう語った。
 厚労相は一日、日本、中国、韓国の保健担当閣僚の会合に席するため北京を訪問。その際に中国中央電視台(CCTV)のインタビューに応じ『中国の食品は非常に安い。ただギョーザ事件でイメージが悪くなっている。食の安全の確保に向けて日中間で協力しよう』と述べた。
 ところが厚労相が取り寄せた放映予定の内容は『金融危機は日本の消費者に財布のひもをしめさせ、中国の食品輸出企業に市場拡大のチャンスをもたらしている』。厚労相の発言はこの文脈で使われており、抗議はせず苦言を呈したという。」
 この嘘は内容からすると可愛いものであるが、中国共産党政府の体質を良く表している。何清漣女史によると、「(中国)当局はとにかくマイナス報道を毛嫌いしている。マイナスニュースを報道するジャーナリストに対しては、いつも解雇という形で対応する。」(P103)のだそうである。中国には『中央宣伝部』というものがあるとのことだが、西欧の各国政府には見られない部署である。さらに『国家安全局』というものもあり、「国家安全局の特務系統がインターネットを公然と監督管理するとともに、国家安全部門が『国家の安全に危害を加える』言論を流布したと認定した人物を随時、逮捕するようになった。・・・・・インターネット導入後、・・・・・世界最大の『ファイアウォール』の構築に始まり、公民の行動を全面的に監視することが目的の『金盾プロジェクト』に巨額を投じている現在まで・・・・・・。少なくとも中国政府がこれほどまでにメディアの統制に気を使っている理由に気が付いている人はまだいない。それは本当の中国には隠さなければならない暗黒面があまりにも多いからだ。」(P74〜75)
 「中国のメディアとは中共政府が掌握しコントロールしているプロパガンダ・マシーン(宣伝機関)であり、・・・・安泰を虚飾することが報道メディアの主な職責と見なされ、事実が何であるかは二の次・・・」(P11)
 ところで台湾の作家柏楊氏が書いた『醜い中国人』(光文社カッパブックス)に林彪が言ったという言葉が引用されている。
 「林彪はかつてこうに言ったことがある。
 『嘘をつかなければ、偉大な事業をなし遂げることはできない』」(P74)
 中国共産党政権は偉大な存在であり、社会主義国家建設という偉大な事業を行なっているのだから、嘘をつくのは当然だという考え方なのだ。
 また柏楊氏は次のようにも書いている
 「不真面目と無責任は、必然的に文字の魔術を生み出す。中国の歴史文献のなかでは、真理は重んじられない。中国の歴史文献は、中国の伝統文化と同じように、事実をねじ曲げている。」(P139)
 中国共産党政権の「嘘をついては当然」という考え方は、まさに中国の歴史・伝統に忠実に沿ったものなのだ。
 だから舛添厚労相の発言を、本人が考えた趣旨とは全く異なる文脈で使うのなどは、まだまだ中国政府の嘘のつき方としては序の口といって差し支えないものなのである。
 何清漣女史によると「中国のように民度が低く」(P13)しかも「金銭の追求が人々の生活の主要な目標になりつつある。」(P74)のだから、食品製造企業で牛乳など食品へのメラミン混入事件が多発しているのも当たり前なのであり、中国政府の愚民政策の行き着いた先がこの食品偽装なのだ。

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2008年11月 5日 (水)

受験と関係がなくなった歴史は面白い

 今、野島博之氏の『謎とき日本近現代史』(講談社新書)を読んでいるが、野島氏も言うように受験のための暗記の対象でしかない歴史という科目はまったく面白くないものだ。私は最近岡田英弘氏の本を読むようになって中国史に深い興味を持つようになったが、高校で習った中国の歴史などは私に全く何の知的興味も呼び起こすことがなかった。ところが今は中国という国の歴史的事実に対して非常に興味が湧いている。例えば科挙の制度についても、岡田氏の説明は非常に明確でよく理解できた。岡田氏によると中国では、日本の標準語のようなものはなくて地方毎にお互いに理解できない言葉が話されていたそうで、皇帝が全国を支配するのに必要とする命令を地方の長官に伝えるための文書に使用する標準語を、四書五経といったものに使われている言葉に決めた。そしてそれを理解・記憶している人を選別するために科挙という制度を作ったのだとのことである。日本とは比べ物にならない広大な国土を持っている中国ならではの制度であったのだ。したがって科挙に受かって官僚となった人たちは、文書作成が主な仕事であったのだ。
 ところで野島氏が書いている内容を読んで、早速私は歴史の真実というのは、中国が日本を非難する時によく使う言葉である「歴史の真実」のように単純なものではないとよく分かったのである。そのことを具体的に説明しよう。
 野島氏がこの本の最初に指摘した歴史の謎は、「なぜアジアにおいて日本だけが欧米列強によって植民地化されなかったか」ということである。その理由として野島氏は二つの理由を上げて説明している。その一つは、日本が欧米諸国に開国を迫られていた時期は、イギリスの資本主義の絶頂期で、イギリスは自由貿易を求めるだけでまだ帝国主義の時代になっていなかったこと、すなわち日本の明治維新の前後は幸運な時期であった、というのである。もう一つの理由は、日本が東アジアの最も東に属する島国で、その回りにある海がイギリス資本主義のためシーレーンという観点から見て日本という国家の自立的な存在がイギリスの対ロシア政策にとって好都合であったことであったという。ところで私は、他の歴史家が次のように書いているのを読んだ覚えがある。日本が植民地化されなかったのは、アメリカの船が日本に寄航した時に、日本は石炭が出ないと知って植民地化する意味がないと考えたからである、と。野島氏はイギリス資本主義の立場からのみ日本の植民地化ということを見ているが、私はアメリカという要素を無視しているのは歴史の理解にとって大きな問題であると思う。
 このように歴史を理解するのには、どの要素を考慮するかという問題があり、したがって「歴史の真実」も見方によって違ってくるのである。日本と中国とで、日中戦争に関する理解が異なることは当然であり、日本に中国侵略の意図があったかどうかなどということについて、日本と中国とで共通の理解をすることなどは、もともと難しいことであって、それを「真実」というのは一つしかないから日中共通の「歴史の真実」の理解が可能だと考えるのは全く浅薄なことなのである。
 中国政府の使う「歴史の真実」とは、実は中国にとって都合の良い歴史の解釈に過ぎない。村山内閣が、日中戦争を侵略戦争だといって謝罪して以降、中国政府は「日本の行なった侵略戦争」という「中国政府ご用達の歴史の真実」を、日本政府及び日本人に中国に対して頭が上がらないようにさせる道具に利用して、日本から膨大な経済援助などを引き出してきたのである。それが可能であったのは、日本の政治家および外交官僚の間に歴史というものについての全く浅薄な理解が存在していたからであり、それが中国に対して日本国家及び国民を自ら弱い立場に追い詰めていたのである。日本人の側の歴史に対する不勉強が。中国に付け込まれる原因となっていたのだ。そのように考えると、歴史を単なる暗記事項に貶める現在の歴史教育は根本的に改める必要があるのだ。

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2008年11月 3日 (月)

田母神・前航空幕僚長の歴史認識

 「大東亜戦争は侵略戦争ではない」という田母神・前航空幕僚長の歴史認識は絶対的な間違いである、というのが日本政府の基本的な了解事項であるが、私はこれには大きな問題があると思う。
 田母神氏が懸賞応募論文に、「大東亜戦争は侵略戦争ではない」と書いたことがニュースで報道されると、早速例によって、韓国、次いで中国からクレームがあがった。中国政府からは、「歴史の真実をねじ曲げてはいけない」といった発言が伝えられた。
 ところで私はいつも不思議に思うのだが、日本人のこういった侵略戦争ではなかったという意見が表明されたことが報道された場合に、いつでも文句を言ってくるのは韓国(北朝鮮も)と中国の2国である。それ以外、ベトナムもインドネシアも、ビルマ(ミャンマー)もフィリピンも、そして台湾も、その都度いきり立って文句を言ってくるということはない(私は聞いた覚えがない。)。全く韓国と中国の行動は、それらの国々とは対照的なものである。国の数から言うと、韓国と中国と2国だけが、いわば異常な行動をいつでも取っている少数派ということである。
 このことには韓国と中国とは、何といっても日本の隣国で歴史的な繋がりも深かったという事実、および韓国と中国との2国が日本に対して抱いた歴史に起因する抑え難い自意識が深くかかわっていると思う。即ち、中国の場合は「中華意識」、「宗主意識」であり、韓国の場合は「先輩意識」である。自分たちよりも劣っていると考えていた日本が、自分たちの上に立つ関係を作り上げたことに、中国も韓国も我慢が出来ないのである。
 韓国は、日本に中国文明が入ってくるに当たっての通り道に位置していて、いわば先輩格であったために、日本人に対して無意識のうち深い優越感を抱いていたのであったが、弟分であるはずの日本に併合されて韓国は独立国家としての地位を失った。恐らくその屈辱感は非常に激しいものであったのだろう。
 また中国はかつては朝貢してきたこともあった日本に対しては宗主国であったし、中華意識は清国が滅びるまで連綿として続いてきていたのだが、アヘン戦争や日清戦争の敗北によって決定的に地にまみれてしまった。その屈辱感は韓国人のそれとは比べようもないほど深かったであろう。一方日本はアジアの国々の中でついに欧米諸国の侵略をまぬかれたただ一つの国であった。中国と韓国とは、日本に対して抑えようのないトラウマを抱いているのだ。
 もし私が上に述べた要因が、日中間、日韓間のトラブル、それも一方的に中国、韓国が感じる不快感を呼び起こし、すぐにも日本政府に対する抗議となって現れるのだとしたら、それは中国や韓国の国民のがわにあるマインド・コントロールされた認識こそが原因である。そういう認識を持っている中国人や韓国人との間に共通の歴史認識などを持つことが出来ると考えた日本の政治家たちはよほど何も考えない連中なのであろう。またチャイナ・スクールと呼ばれる中国びいきの外務省のキャリア官僚などは、一体その優れていると自認する頭でどのように国益を考えて行動しているのか、頭が良くても心根が腐っていると救いようがないのだ。
 日本政府が、大東亜戦争を侵略戦争であったとして中国と韓国に認めて頭を下げるのなら、イギリスもアヘン戦争に関しては侵略戦争であったとして中国に頭を下げなければ成らないのではないか。中国政府は英国政府に対してはなぜ歴史的な謝罪を求めないのか。どう考えても、中国政府の英国と日本に対する対応の仕方は不均衡である。中国政府は日本人の誠実さに付け込んで、侵略戦争と喚き立てては金をむしり取っていったのだ。なんといっても中国は『厚黒学』(徳間文庫)の本家本元の国なのであるから、中国政府高官たちのツラの皮の厚さは押して知るべしなのである。
 日本政府は、靖国神社参拝問題などに対する中国政府の抗議などには「内政干渉だ」といって全く突っぱねるべきなのである。中国政府が勝手に主張する「歴史の真実」なるものも、「認識の違いはあって当然」という考えによって無視知すれば良い。中国と韓国に対して、日本の政治家は抜本的な認識の転換を行なうことが不可欠であると私は考える。それによって彼らの中国と韓国に対する卑屈な対応は自然と解消するであろう。結果から判断して大東亜戦争・太平洋戦争は、何といってもアジアの民族解放に役立ったことは確かなのであり、侵略戦争のみで語られるのは片手落ちなのである。
 田母神・前航空幕僚長の歴史認識に含まれる真実の部分にわれわれ日本人は深く思いを致さなければ成らないと思う。

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2008年10月17日 (金)

またもや中国製食品の毒物汚染

 中国製冷凍食品のインゲンに殺虫剤ジクロルボスが付着していて、食べた人に健康被害をもたらしたが、先日のNHK・BSニュースでは問題の中国企業企業と地方政府の代表者が企業の製造工程の管理面においては何ら問題はなかったと記者団に対して語っていた。この時点では被害者に対する謝罪の言葉はなかったようである。すぐあとに放映された同じBSニュースでは中国の外務省の人間が被害者に対する謝罪を述べていたが、やはり企業の管理面では問題はなかったと記者会見で述べていた。
 この時点では殺虫剤混入の原因は解明されていないが、日本の企業であればまず、消費者に謝罪をした上で原因究明に努めると述べるであろう。けして管理面に問題はなかったなどとは言わないはずだ。ここに中国企業の消費者に対する企業姿勢の根本的な違いが現れている。
 また上のニュースには中国人そのものの根本的な問題体質がハッキリと現れている。すなわち、「中国人は死んでも過ちを認めない」という性格である。さすがに冷凍ギョーザ事件の時とは少し違ってきて、完全に自分たちにはなんの責任もないという言い方ではなくなってきて、業務の管理面では問題はなかったという少し柔らかな表現に変わってきているが、それでもやはりまず自分たちには過ちはないという姿勢は同じである。
 ところで今日(2008/10/17)のBSニュースでは、中国政府の担当者が謝罪をした上で、個人による混入の可能性について触れていた。日本で同じ商品を回収して警察が調べた結果ではジクロルボスの混入は発見されなかったから、商品の状況から判断して特定のものにだけ混入の操作が行なわれたと判断されるが、それは冷凍ギョーザ事件も同じであったと思われる。
 しかしなぜこのような個人によると思われる毒物混入が起こるのか、その原因の一部には中国政府による長年の反日教育が影響しているのではないかと思われる。中国政府は国家の政策として歴史教育の名目で反日をあおってきた。中国では日本のようにあらゆる立場の人間が自由に歴史の本を出版することなど出来ないから、若い中国人は教育の場で教え込まれたことしか知ることが出来ない。中國共産党政府は、教育の名目で国家として自国民のマインドコントロールを意識的に行なっているのである。中国人の反日意識を醸成することの目的は、共産党独裁政権が愛国心を意識的に高めることによって政権基盤を強めようとすることであった。しかしこのような愛国教育の結果として起こったと考えられる個人による毒物混入は、中国製食品の安全性に対する信用を世界中で根本的に揺るがすことになり、今や中国の国益を大きく損なうことになっている。これはまさに中国共産党政権の自業自得というべきものである。アメリカの金融市場での信用消失が金融恐慌に近い状態をもたらし、アメリカ経済に莫大な損害をおよぼしたが、これもまさに自業自得そのものである。
 中国経済の大躍進と言われるものは、実はひどく底の浅いものだあったと私は考えるが、中国食品への農薬やメラミン、殺虫剤の混入はそれを証明するものであると同時に、中国経済の今後の困難の兆候を示しているのではないだろうか。
 なお「中国人は死んでも自分の過ちを認めない」という中国人の根本体質については、私は台湾の柏楊氏などの中国人自身が書いた本によって知ったが、新聞やテレビニュースを見ているかぎりは知りえない重要な事実であった。私は新聞やテレビでは中国人のこの根本的欠陥を知ることはなかった。マスコミでこのようなことを流すと、中国政府からは反中国とレッテルを貼られて記者の入国を拒否されることを恐れて、けして日本国民には知らせようとしないのではないないかと私には推測される。そういう全く許しがたいことをする国家でもあるということ、そこに見られる中国共産党政府の持つ民主主義国の政府と異質な体質を我々は見失ってはならないと思うのである。

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2008年10月 6日 (月)

中国人による中国批判の内容の深刻さ

 しばらく前から中国に強い関心があって、いろいろ本を読んでいる。最近読んだ台湾在住の孫観漢氏の書いた『病める中国人 アメリカ人、日本人にどこが劣るか』(光文社新書)は、20年以上も前に書かれたものであるにも拘わらずが、そこに書かれている内容が現在中国で起きている色々な事柄の原因を見事に説明していることに驚かされた。孫観漢氏は物理学者でアメリカに40年ほど住んでいて、台湾に移住してきた。そしてアメリカという民主国家に長年住んでいたから人権意識なども当然のことして身についているが、そうした目で見て中国人には大変な欠陥があると判断したのである。
 今中国について一番問題になっているのは、乳製品へのメラニン混入事件であろう。有毒であることが知られている化学物質を平気で食品に混ぜて中国では販売していたのである。ところが孫観漢氏の本の中で既に同じことが指摘されているのである。
 「食べ物のことを言えば、団体の食中毒もしばしば起き、屋台による肝炎の感染が氾濫しているのに、数十年かかってもまだ改善されない。野菜には農薬が付着しており、薫製や缶詰には過量の防腐剤が入っている。病気の豚(の)肉が販売され、海産物も汚染したものが多い。」(P118)
 「病死した豚(の)肉や有毒米、有毒食油、有毒ミルクの販売。」(P177)
 孫観漢氏は「数十年かかってもまだ改善されていない」と書いているが、20年以上前に書かれた本でそのように書いているということは、大ざっぱに言って50年近く立っても何ら改善されなかったということであろう。これは日本人から見ると全く驚くべき事柄である。なぜ中国では問題が起きても改善が為されないのか。これについても孫観漢氏の書いていることを読むとよく分かる。
 「中国人は過度の利己心があり、自分のことだけで他人は眼中になく、人間を人間と思わない。・・・・・公徳心に欠け、礼節がなく、無秩序で、ロジックに欠け、人権を軽んじ、法治を軽蔑し、協力を嫌がり、虚栄心と個人的権威を重んじ、言うことと思っていることが一致せず、上に対してはおべっかを使い、下に対しては威張り散らし、傲慢で、あるいは自らを卑しめ、貪欲に他人の財産を奪い取り、簡単に人を殺したり・・・などなど、こんなことは日常茶飯事である。」(P20)
 さらに中国人のどうしようもない次のような民族性も指摘しているが、この方がもっと問題かもしれない。
 「われわれ(中国人)は死ぬまで過ちを認めようとしない。」(P70)
 この事実を証明したのが、冷凍毒ギョーザ事件であった。中国政府はその原因は中国側にはないと納得のいく証拠も示さずに主張していたが、中国国内でも冷凍ギョーザによる中毒事故が起きてようやく中国側に原因があることを認めるに至った。しかし、それでも事故の調査が進捗しているようには見えない。私は、この捜査は最後には曖昧のうちに終了するのだろうと予想している。やはり「死ぬまで過ちを認め」たくないのだ。なぜそうまで自分の過ちを認めないのかという理由を孫観漢氏は次のように説明している。
 「事実を直視せず、自分たちは黄帝の子孫だと誇り、龍の末裔だと信じて、絶対に過ちを認めない。」(P21)
 中国五千年の歴史に基づく中華思想は、中国人にとっては病膏肓なのである。現在の状態を客観的に見ることを、このイデオロギーが妨げている。
 ところで中国が最近起こした大事件として乳製品へのメラニン混入事件はどのように中国社会に影響を与えるだろうか。牛乳を原料に使用するあらゆる食品にメラニンの混入が認められて、中国製の食品については世界中で輸入禁止が起きている。この影響は恐らく中途半端では済まないだろうと思われる。中国の酪農家が廃業に追い込まれたというニュースも既に見られたが、幅広い食品会社の操業に影響が出るだろうし、アメリカ発の金融不安による世界的な需要減少が追い討ちをかけて中国経済にも大きな影響が出るだろうと思われる。信用を失うのは一瞬だが、一端失った信用を回復するのは大変だ。この問題を契機にして、中国の食品業界において品質に関して抜本的な意識改革が行われるようになるのかどうか、私は非常に関心を抱いている。私は長年製造業の会社に勤務してきたが、その間に学んだことの一つは、製造業での3つの主要管理項目である「納期、品質、コスト」の中で次のような重要性の序列で現場を管理するべきということであった。すなわち、品質>納期>コストの順で現場を運営しなければならないのである。しかし中国ではあまりにも利益最優先の経営が行なわれているのが一般のようで、その結果がメラニン混合事件に象徴的に表れているといえるだろう。
 ところで中国人の自国民批判については、孫観漢氏の前に柏楊氏の『醜い中国人』(光文社新書)、朝鮮系中国人の金文学氏の『中国人民に告ぐ!』(祥伝社文庫)を既に読んでいるが、今改めてこの2冊を目次の記載事項でチェックしてみると基本的には孫観漢氏が指摘しているのと同じことを批判していることが分かった。また日本人で中国人と結婚し北京に住んでいる星野ひとみさんの書いた『だから中国は救われない』(KKベストセラーズ)で書かれている内容とも大半が重なるのである。
 また歴史家の岡田英弘氏が『この厄介な国、中国』、『この奇妙な中国の常識』(ワック)で書いていることも大いに参考になる。岡田氏は、中国はその本質においては変わりえないという。変わるときは、国家のシステムそのものが変わらざるを得ないという。
 「中国が近代化を実現するときは、中国が崩壊するときである。少数民族による自治や、言論の自由といったものを実現させれば、中国というシステムはその瞬間に消えてしまう。」なぜなら「中国共産党の本質は、国民国家というベールをまとった黄帝システムである。つまり、共産党は皇帝であり、二千年来つづいてきた”正統”の後継者なのである。」現在の中国は余りに大きすぎて皇帝システム以外では統治不能だ、というのが岡田氏の判断である。
 世界不況が言われる今日、中国がどのようになるのか、大いに注目してその推移を観察していきたいと思う。

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2008年9月29日 (月)

『だから中国は救われない』を読んで

 著者は中国人の弁護士と結婚して北京に住んでいて、すでに子供も2人いるという星野ひろみさんである。この本の副題は「『在中日本人』にしか語れないここだけの話」となっていて、彼女が留学2年間(1986年9月から)、94年から現在まで続くの北京での生活の中で自分の目で見た事を中心に書いた中国人、政府に関するレポートで、結果として中国人・政府を鋭く批判している。なおこの本はKKベストセラーズから2003年3月に出版されたものである。
 彼女の書いている内容を見ると、中国人の良いところよりは悪いところばかりが目に付いているようで、どうしても彼女としては批判的にならざるをえないようである。日本人には信じられないようなエピソードが沢山描かれているのである。
 星野さんは中国語の通訳から中国人と結婚して中国に住むこととなった主婦であるが、非常に見る眼があり中国の実態を知るのには大変役に立つ本である。私は生活の現場から見た中国の実状などはなかなか知る機会がなかったが、この本を読んで知ったことは他の本で教えられたことの裏づけにも成るものであった。例えば、私は中国人は日本人に比べると相当に民度が低いと考えてきたが、この本を読んで農村の教育施設や教師のお粗末限りない実態を知り、農村部には日本の人口以上の人たちが字が読めない状態であるということを知り、なるほどそれでは中国の民度も低いはずだと納得がいった。
 星野さんが書いている中で特に感心したのは、日本政府及び外務省の対中国姿勢をハッキリと非難していることである。彼女は次のように書いている。
 「彼ら(中国の若い人たち)が中国政府の反日プロパガンダによって洗脳された、事実を知らない人たちであることが明らかであるからだ。そんな彼らに必要な処方箋は、正しい歴史の認識と、日中国交回復以来、日本が中国の発展のためにどれだけ貢献してきたかという事実を知らしめる以外にないだろう。それには日本政府と外務省の毅然たる態度と積極的な中国への働きかけが必要なのだ。」(P59)
 なぜ日本の政治家と外務省の外交官は中国に対して毅然とした態度で対応することができないのであろうか、と考えると、先ずは政治家がODAなどに『関連しで中国側から不正にお金を貰い、外務省の官僚たちもそれに倣っているからではないかと私は推測してしまうのである。外務省にはチャイナスクールという中国寄りの連中がいるという。私に言わせると彼らはまさに売国奴である。
 この夏に開催されれた北京オリンピックは、中国人の中華意識をくすぐって中国政府の国民との脆弱な関係を下支えしたようである。彼女は中国政府と国民との関係を次のように判断している。
 「中国政府と国民の絆はいつ崩れるか分からないほど脆弱なものである。中国人の中には自分の国を放棄してもかまわない人が多い。」(P63)
 この彼女の指摘がどこまで事実を反映しているかを私には判断する材料はないが、現在問題になっているメラミンの混入問題への中国政府の対処の仕方を見ても、中国国民が政府を信頼することは難しいだろうと思うのである。
 この他にも中国政府及び中国人の実態を知るのに役に立つ情報が沢山含まれている。次のような指摘も、今回のメラミン事件を理解する上でおおいに役に立つものである。
 「日本にもいろいろな事件が発生し、事件の内容そのものはいかにも人間が発想しそうなことだが、中国で起こる事件は我々の発想や理解をこえるものが多いというのが特徴である。」(P278)
 ところで最後にこの本について私が気になった点を少し書いておきたい。
星野さんは「謝辞」で多くの人の名をあげて感謝を表しているが、「原稿を添削して下さった諏訪一幸氏」は、果たしてどれだけキチンと添削してあげたのだろうかと首を傾げざるを得ない点が私にはいくつかある。細かな点を含めていくつか例を挙げるが、先ず「1つ」という表現が縦書きの印刷で行われているが、由緒ある日本語語としては「一つ」と書くべきではないだろうか。私の使っているワープロソフトでは「ひとつ」と入力して変換したら『一つ』と出た。「1つ」も横書きなら何とか我慢もできるが縦書きでは私には非常に違和感がある。添削するのならそういった点もキチンと見てあげるべきでなのではないだろうか。また同じような表現として「1人ひとり」(P238)があるが、これも縦書きでは日本語の表現としては違和感があるものだ。「一人ひとり」とするべきであろう。
 また『権謀術策的なプロパガンダ』(P52)という表現が出ているが、いくつかの辞書で調べても「権謀術数」という言葉は出ていても「権謀術策」という言葉は出ていない。
 次の文章にも不適切な言葉の使用が見られる。
 「中国語は言語が豊富なわりに、日本語に比べると丁寧語、尊敬語、謙譲語がほとんどないに等しく、また、言葉そのものが豊富であるがゆえに、罵り言葉にもことかかないのである。」(P255)
 「中国語は言語が豊富なわりに」とは一体どういう意味か? 「言語」ではなくて「語彙」が豊富ということではないのか。
 次の文章は正確に読むと表現がおかしいことがわかるはずだ。
 「この中華思想なるものは中国が世界の頂点(中心)であるという思想に基づいて、外に対しては自己の優越性を誇示し、内に対しては共同体的結束を固めるというイデオロギーに根ざすものである。この史的唯物論的イデオロギーが中国国民1人ひとりの魂を高揚させるには十分のナショナリズムを作り上げたのだ。」(P238)
 この文章は次のように書き換えると、意味が明確になると思う。
 「この中華思想なるものは中国が世界の頂点(中心)であるというイデオロギーであり、このイデオロギーに基づいて、中国人は外に対しては自己の優越性を誇示し、内に対しては共同体的結束を固めてきたのである。中華思想こそは、中国人のナショナリズムの根本にあるものであり、中国人のナショナリズムを固めるためのイデオロギーであった。」
 星野さんは中華思想を「史的唯物論的イデオロギー」と書いているが、「史的唯物論的」というのは何処から出てくるのだろうか。私はマルクス経済学を学んだ人間であるが、「この史的唯物論的イデオロギー」というのは理解しかねるものである。中華思想の何処が一体、史的唯物論的なのだろうか。「史的唯物論的」という修飾語は全く意味がないと思う。
 また星野さんは日本への密入国中国人の実態について触れた後に、次のように書いている。
 「では、中国サイドからこの事件を見聞してみよう。」
 ここで使うべき言葉は「見聞」などではなく、「検証」とでも言うべき言葉であろう。「見聞」という言葉の意味は、単に「見たり聞いたりする」ということなのである。
 こうした例を見ると、諏訪一幸氏は一体何を添削していたのかと疑問に思わざるを得ないのである。私は諏訪氏はとても人の文章を添削するなどといったことには向かないのではないかと思わざるを得ないのである。
 ところで次のような文章の意味を、あなたは正確に理解できるだろうか。
 「人体から排出される屎尿には40%もの細菌が含まれており」 
 人間の大便には大腸菌の死骸などが相当の割合で含まれているとのことであるが、医者の藤田紘一郎氏によると人間の排出する尿には基本的には細菌は含まれていないとのことである。屎尿とは大便と小便の両方を含むのであるから、上の文章の表現は医学的に見る限り正しくないのである。
 最後にこの本には最後に参考文献が2ページに渡って記載されているが、本文の中で正しく引用されている古森義久氏の名前が、参考文献のところでは小森義久となっており、私には担当者の手抜きではないかと思われた。折角良い内容の本なのであるから、私としてはもっとキチンとしてもらいたかった。

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2008年8月 6日 (水)

中国冷凍ギョウザ事件に見る中国人の呆れた体質

 今日(2008年8月6日)のTVニュースで、中国でも日本で起きたと同じ冷凍ギョーザによる中毒事件が起こったとのことである。中国政府から日本政府に連絡が入ったそうだ。中毒の素になったのは日本に輸入された冷凍ギョーザを作った天洋食品のギョウザで、市中から回収された製品が、なぜか、市中に出回ってそれを食べた人が中毒症状を起こしたのだという。危険性があるからと一度回収された商品がもう一度市中に出回るなどということは、日本では考えられないことである。中国企業の管理体制は全く信頼性がないのだ。
 また、いかに現在の中国人が拝金主義的になっていて、金儲けのためなら何でもするという連中であるかがこの事件で明らかになった。中国政府が躍起になって北京オリンピックを成功させることで国威発揚に努力している中で、中国人はそんなことにはお構いなしに金儲けのためなら同胞に毒ギョーザを食べさせることも意に介さないという全く呆れ果てた体質の人間なのである。
 私は既に、中国政府は冷凍ギョーザ事件をキチンと犯人を特定させること無く曖昧なままにして幕引きしようとしていると書いたが、今回の中毒事件が起きなかったら私の予想通りに冷凍ギョウザ事件は中国政府の捜査協力を得られないままに曖昧な決着を迎えていたに違いない。しかし中国国内で中毒事件が起きた以上、中国政府も改めて捜査を進めざるを得ないだろうし、今度はギョーザに農薬を入れた犯人と、回収されたギョーザを再び市中に売りに出した犯人の両方を特定することに本気で取り組まざるを得ないであろう。そうしなければ中国の製品に対する海外の信用はがた落ちになるからである。
 台湾人の柏楊氏は『醜い中国人』(光文社)の中で、「中国人・・・・は死んでも自分の過ちを認めようとしない」(p42)と書いているが、今まで取ってきた中国政府の冷凍ギョーザ事件に対する態度は、全く柏楊氏の指摘するとおりのものであった。しかし北京オリンピック開幕直前になって発覚した中国国内での中毒事件によって、今まで主張してきた中国側には責任はないとする立場は完全に覆されてしまった。中国政府が今後どのように振る舞うのか、大いに興味を引かれるところである。しかし中国政府は北京オリンピックを成功させることによって、中国が大国であることを躍起になって証明しようとしているが、四川大地震に対する中国政府の対応や、チベット騒乱事件、新疆ウィグル地区の武装襲撃事件、北京オリンピックの報道センターでのインターネット接続妨害事件など、中国以外では起きようもない事件が続発して、中国という国の持っている根本的な問題体質があらわになって世界に報道されてしまった。最早、中国共産党独裁政権が目論んだ宣伝効果は達成できるどころか、むしろ色々な問題が起きたことで中国という国が本当に厄介な国であることが世界の人たちの目にも明らかになった。私にはこれこそが北京オリンピックの一番重要な効用であると考えるものである。

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2008年6月28日 (土)

中国という国に対する未来予測は外れたが、内容は有益な本

 中国という国に関心があって、中国関係の本を古本屋で見つけると良く買っている。最近黄照堂という台湾人の書いた『滅亡へ直進する中国 中国人は共産主義が大嫌いだ』(祥伝社)という本を古本屋で見つけた。祥伝社の新書はほとんどよく見ないのだが、今回たまたま見ていたら上記の本が目に入ったのである。そして棚から引っ張り出してみると、表紙の裏側に谷沢永一氏の推薦文が書いてあったが、表側の表紙の裏側に歴史家の岡田英弘氏の推薦文が出ていたのでそれが決め手になって買うことにした。この本が出版されたのは1990年であるからもう18年も前である。その頃に黄氏が行なった分析と中国滅亡の予想がどこまで的中しているか大いに興味が湧いたのである。現在のところ中国が滅亡などしておらず、むしろ経済的には大いに繁栄した形であることは周知の事実である。黄氏がそのように結果としてはまったく間違った将来予測をした理由は、国家としての規模の大きすぎること、中国の多すぎる人口、経済の沈滞、少数民族問題などである。中国の国家としての規模の不適切さについて黄氏は次のように書いている。「国民の意思の統合が、上手く図れること・・・それが国の適正規模である。・・・・中国は大きすぎる。大きすぎるゆえに現在の中国は自分の首を絞めている。」(P34)
 ところで共産党政権前の清国は満州族の征服王朝であって、それに対する漢民族の返り咲きを行なったのが辛亥革命であったが、満州族を追い出した後の国家像として孫文が描いた国家構想には根本的な欠陥があったと黄氏は言う。孫文は倒した清帝国の版図を縮小することを恐れて漢・満・蒙・回(イスラム系)・蔵(チベット系)からなる『五族共和』の理念を作り上げ、それらの民族を集合した新しい『中華民族』という概念を創って、纏めることにした。しかし黄氏によると、五族は自然に纏まるような存在ではなくて、漢族以外の少数民族は独立することを望んでいた。最近のチベット動乱などに見られるようにチベット族は中国に統合されることなどは望んでいないのである。共産党政権成立後に中国政府はそういった少数民族の住む地域に大勢の漢族を送り込んで民族同化を図っているが、少数民族は同化するつもりはないとのこと。少数民族地区に漢族が大量に送り込まれた結果、少数民族地区においてさえ漢族の人口が多くなって少数民族の地位に追い込まれているのだという。中国の場合はアメリカのように少数民族が中国国民としての意識を強く持つような状態にはなっていないのである。独立志向が根強く残っているが、表立って中国政府に反乱を起こすだけの力は彼らにはない。。
 次に「中国滅亡」の理由の一つである「人口が多すぎる問題」について黄氏は次のように書いている。「中国を見ると、人口が11億と多い上に労働者の質はきわめて低い。つまり人材が圧倒的に不足している。」(P76)しかし今はもう労働者の質うんぬんは妥当しなくなってきているように見える。ただし毎年15百万人の新規労働者に対して職を与えるという困難な課題が中国政府には残っていて、その他ために経済成長を高く維持しなければならない。そして中国の基本的欠陥として、黄氏は資本不足による「中国経済の停滞」を言うが、これも既に現実によって否定されてしまった。
 「中国が現在の国家形態を取っているかぎり、経済繁栄など断じてない。」(P194)この指摘もまた完全に現実によって否定されてしまった。
 黄氏のこの本は、残念ながらタイトルの『滅亡へ直進する中国』を読者に納得させるだけの内容は持っていないが、しかし中国という国の特質、政府と中国人についての理解を与えてくれるという意味では有益な本であると思う。そうした内容について以下に引用する。
 「中国においては、いつの世でも権力者の私的軍隊によって人民が大量に殺されてきた。」(P19)
 「『天安門』のような虐殺は、歴史上、中国ではごく普通の出来事なのだ。」(P19)
 「中国の軍隊とは、いつの時代にも支配者のための軍隊であった。」(P27)
 「人民解放軍は、いつも国内治安のためにだけ存在してきた。『天安門』にしても、学生デモの規模が大きかったために、警察に代わって派遣されたわけではない。中国では、デモの鎮圧などは軍の重要な役割となっている。}
 「中国人の世界観は『大同の世界』を理想としている。つまり『同質の人間』が寄り集まって『均等な社会』をつくることを最終目的としているのだ。・・・・中国にあって、『大同』の政治的発露は広大な国土を統一し、独裁専制国家を創り上げることを意味する。一党独裁を維持し、思想の統一を図るためには、異分子の存在は容認することができないのである。だから異分子は抹殺される宿命にある社会なのだ。」(P27)
 「強い中国建設をめざすこれら大国主義者たちは、当然内側からの破綻を防ぐために、経済再建だけでなく、少数民族の分離独立の要求に対して徹底的な弾圧を加えることだろう。」(P130)
 「中国政府は、他の文化の存在を一切認めようとしない漢民族の傲慢な中華意識・・・で、チベット人の言葉さえも奪い、彼らの宗教を邪教であると、軍靴で踏みにじってきたのである。」(P186)
 「実際には、漢民族自体が混血民族であり、純粋な漢民族など、今やどこにもいしない。」(P39)このことは歴史家の岡田英弘氏も指摘している。
 「中国民族には、伝統的に『平等』という思想がまったく欠けている。どうすれば個人、つまり自分だけが良くなるかということしか、中国人は考えない。頼るのは家族であり、次に親族。つまり利己主義に凝り固まった民族なのである。」(74)
 「反対する者はすべて敵と見做し、ひじょうに自己中心的で利己主義的な考え方をする。この利己主義は、、歴史的にも中国人に、いちばん大切なのは自分であり、次ぎに大事なのは家族、一族郎党、そしてわが地方という考え方をさせてきた。」(P146)
 「中国は道徳の育たない国柄であるから、現代に至るまで、この孔子の教えが繰り返し指摘され、生き続けてきたのである。」(P150)
 中国の共産主義政権とは、「つまるところ、民族の血とも言いうる”中華思想”の上に、共産主義という帽子が載っかたにすぎないのである。」(154)
 「中国人は相手の意見を尊重することを大の苦手とする国民なのである。」(P145)
 「中国の膨張主義・・・。中国は権力至上主義の国でもあるが、その権力そのものが自己膨張をしていく。」(P200)
 「中国はまさに、”死の商人”にふさわしく、同じ国内で政府側と反政府側に武器を供給しているケースがある。(P213)
 以上に引用したのは中国を理解するのに資すると思われる事柄であるが、これだけ知っているだけでも中国人との対応に役に立つであろう。
 更に黄氏は日本人の中国に対する姿勢を批判して次のように述べている。
 「日本が、中国”侵略”の”過去”に忸怩たる思いを抱くのは、それはそれでたいへん結構なことであるが、それにしてもあまりにも度が過ぎる。中国の歴史を考えてみれば、中国こそが、まさに侵略で出来上がった国ではないか。日本の中国侵略は、1931年の満州事変から始まった14年間だけである。4000年も、5000年も侵略を続けてきた中国に比べれば、そう忸怩たる思いを抱く必要はない。」(P207)
 「日本の一部の人たちは、中国に平身低頭することによって、あたかも自分だけが充分な償いをしていると思い込んでいる。とんでもないことだ。・・・・侵した”過去”に対していちいち頭を下げる必要はまったくないと、あえて私は言いたい。」(P209〜210)
 過去の日本の政治家や外交官僚たちは中国の歴史を深く学ぶこともなく、しかも第二次世界大戦の前の世界は帝国主義の時代であったというまともな歴史認識さえ持っていなかったとしか思われない。まったく不勉強そのものの連中であった。そしてそのために外交上ではいつも中国に鼻面を引き吊り回されるようなことになってきたのである。

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2008年6月 5日 (木)

中国・四川大地震に関するニュースに見られる中国政府の宣伝体質

 NHK・BSニュースで四川大地震で校舎が倒壊したために学校に行けなくなった子供たち
が離れた場所の学校に移され、寮に住みながら授業を受けるということになり、寮の部屋には電話も設置されて家に電話をかけることもできるという。いかにも中国政府がよくやっているということを宣伝する内容である。他方で校舎の倒壊で子供を亡くした親たちが地方政府に手抜き工事の有無の調査結果の報告を求めて庁舎の前に集まったのに対して、地方政府は回答などをしようとせず警察を使って暴力的に排除するといった対応をしている。中国の中央政府は地方政府に対して手抜き工事がなかったかを調査するように指示したというが、地方政府が中央政府の指示に従っているようには思われない。既に何度か書いたが、中国の地方政府とは日本のそれとは全く違った存在で、いわばマフィアという犯罪組織と同じものと考えたほうが良いような存在なのである。子供を亡くした親たちの調査要求に対する地方政府の対応を見ると、中央政府は地方政府をコントロールしきれていないことがよく解るのである。
 ところで今回の中国政府の四川大地震に対する対応は従来のそれとは全く違っているように思われる。その原因は恐らく、①ミャンマーのハリケーン被害に対する軍事政権の対応が世界的に非難を呼んだこと、②チベット騒動に対する外国メディアの取材を妨げたことに対する海外からの非難、③8月に行われる北京オリンピックを成功裏に実施するために悪い評判を避けなければ成らないという配慮、そしてさらには④中国政府が国民に対して深く配慮しているということを示さなければならないこと、こういった事情があったからこそ、地震発生後直ちに温家宝首相を現地に派遣して対策指導を行なわせ、さらに続いて胡錦涛主席が現場に入るというパフォーマンスが行われ、それがマスメディアで報道されたとのだしか私には考えられない。四川大地震のニュースは、中国政府が如何に国民のことを考えて行動しているか、それを一所懸命に内外に宣伝しているのである。
 中国のメディアとは、政府の宣伝のための道具でしかないことを日本人はどれほど理解しているのだろうか。NHKはそういったことを視聴者には語らないから、本や雑誌などで中国についての情報を得ていないと中国政府の異常体質を理解することは難しい。しかし中国政府が国内向けに行なった宣伝報道も海外で報道されるから、私のように、なるほど中国政府はとんでもない手前味噌の宣伝を平気で行なう存在だと解るのである。

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2008年5月27日 (火)

遅れてきた経済大国・中国

 8月に北京でオリンピックを開催する中国と、四川大地震で多くの学校校舎が倒壊した中国との大きな落差は、同じ中国の中に大きな矛盾が潜んでいることを明らかにしたにであった。近年急激にその経済的な存在感を大きくした中国は、まさに遅れてきた経済大国といってよいと思うが、中国という国家社会のあり方そのものとしてもまだまだ遅れていることが、今回の四川大地震は隠しようもなく世界に明らかにしたのであった。
 私は春江一也氏の小説『上海クライシス』(集英社)を読んで初めて、中国の地方政府というのは実態はマフィヤなのだということを知ったのだが、このように認識すると、中国社会内部のルポルタージュ番組の内容、例えば貧しい家の子供たちがレンガ製造の業者に誘拐の上人身売買されて奴隷労働に従事させられている一方、親たちがいなくなった子供たちを探し回っていたという話と、このルポルタージュがTV放映された後の後日談として、一端親元に戻された子供たちがまたレンガ製造業者の許に連れ戻されたというが、それには地方政府の役人がからんでいたとの話が腑に落ちるのである。子供たちの誘拐・人身売買に地方政府の役人がからむなどということは日本人には想像もつかないことであるが、春江氏の言うように地方政府とは一種のマフィアだと理解すれば納得が行く話である。このことに関連する話であるが、黄葦町の『中国的隱形経済』(毎日新聞社)によると、「「新中国建国後は姿を消したが近年復活した犯罪に、女性・児童の誘拐、人身売買がある。関係者はやはり農民一色だ。・・・人買いも売られる女性も、・・・ほとんどが農民である。・・・・近年、誘拐・人身売買は特に猛威をふるっている。」(P60〜61) これだけでも中国は到底近代国家とは言えないことが解るだろう。近代国家の中核には「人権の尊重」ということが無ければ成らないのに、「誘拐・人身売買」が猛威をふるっているというのである。
 ところで四川大地震による校舎の倒壊の原因については、中国の建築業者の技術水準が元々低い上に、建築費から地方政府の役人に対する賄賂を差し引かれて建てられただろうから手抜き工事が当然行なわれたものと推測され、それが校舎の耐震性を弱めたに違いないのである。中国の中央政府には今や国際社会の目が直接及んでいるし北京オリンピック開催のメンツもあるから、共産党政府は今回の大地震に対しては迅速な対応を行ない、大量の軍隊を派遣したりもしているが、地方政府の活動状況はほとんど放映されていないから、実務的な対応能力は非常に低いものだろうと推測されるのである。救援物資も盗まれたりしているとのことだが、地方政府の役人たちがからんでいる可能性も大きいと思われる。
 かくて中国という国のまだまだ遅れている実態を四川大地震は国際社会の目にはっきりと示したのであった。

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2008年5月18日 (日)

四川大地震と農民の関係

 中国の四川大地震では広域に渡って膨大な数の建物が全壊・半壊などして、その下敷きになった多くの人たちの生命を奪ったが、私は建物崩壊の原因は中国では建物がもともと地震対策を考慮しないで設計・施工されたことにあるのではないかと考えていたが、今読んでいる黄葦町氏の『中国的隱形(おんぎょう)経済』(毎日新聞社)によってそのことを確信するに至った。この本に書かれている建設業務の実際の行われ方やその担い手の実情を知ると、建物崩壊の大きな原因として手抜き工事や施工技術のレベルの低さが潜んでいるのである。このことを理解してもらうために以下の引用を読んでもらおう。
 「80年代はわが国の基本建設が空前の発展を遂げた10年であり、農村からの建築作業 員たちは都市建設に大きな役割を果たした。・・・・・彼らなしには、現在の都市建設の 大成功はあり得なかったのである。」(P76)
 既に書いたように農村の膨大な数の余剰労働力が都市に流れて行って、「都市戸籍」を持たない流動人口に加わった。そして「流動人口が従事する職種で最も多いのは、農民建築作業員や建築施工チームである。1988年、建設業に従事する農民作業員は1526万人。」(P75)であったが、「無認可の施工チームが許可証を持つ企業の名義を掲げ、実際の施工を負うようになると、必然的に問題が次々に出てきた。無認可の施工チームは技術力に乏しいため、品質面で事故が続出する。農民の建築作業員のほとんどは基本的な職業訓練や安全教育を受けていないので人身事故も絶えない。」(P78)さらに日本でもあるように、建設契約を受注した国営建設企業などが工事を下請けに丸投げすることも多く、それが更にまた丸投げされるなどして手抜き工事を引き起こす原因ともなっていた。つまり設計段階で充分な地震対策が施されていない上に、更に手抜き工事や施工技術のお粗末さが加わっていたから、完成した建物の強度はもろかったのだ。今回の四川大地震による建物崩壊の主たる原因は地震の強度にあったではあろうが、それ以外の補助的な要因として建物施工の悪さということもあったと推測されるのである。中国から輸出された工業製品に塗料に含まれる鉛の問題や、冷凍ギョーザへの農薬混入などの品質不良の問題が多く発生しているが、同じ品質不良の問題は中国国内においても数多く発生しており、建築業においても同様であったのだ。そしてそれらには郷鎮企業や農村出身労働者といった中国の農村に関わる人間が深く関わっているようなのである。そして黄葦町氏は中国の農民の資質に関連して次のように書いている。
 「収入が少なすぎるため、農民やその子供たちは教育を受けられない。あるいは中途退学 せざるを得ない。・・・・・そのため、農村では非識字層が3分の1を超え、一部の貧困 地区では全人口の80〜90%に達している。もとからいた非識字層を解決できぬうち  に、新たな非識字層世代が大量に生まれている。
  ・・・・・・・・・・
  農民は文化水準が低く、商品経済に対して無知であるために、商品経済の秩序や道徳  的・法的規範について理解できていない。農民の多くは非識字者であると同時に法に疎い 『法盲』である。もし非識字者でなくても『法盲』である。このような素養の低さが、の ちの大きな社会変動を生んだのだ。」(P63−64)
 現代の中国では農村居住者の非識字率もこの時代よりは相当減っていると思われるが、それでも中国農民は平均的には日本に比べれば相当に民度が低いものと思われる。今回の四川大地震で倒壊した建物の建設時期は分かりようもないが、それらの建築物は品質的にもともと問題を抱えていたものと考えられるのである。特に農村の住居などはキチンとした技術によって建てられてはいなかっただろうから耐震性は脆弱であったに違いない。

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2008年5月10日 (土)

魯迅の『狂人日記』と中国の「食人」の伝統

 私は中国関係の本は前から少しづつ集めて持っていたが特別に中国という国に対して深い関心を持っていたわけではなかった。ところが春江一也氏の小説『上海クライシス』(集英社)を読み、その後杉本信之氏の『大地の咆哮 元上海総領事が見た中国』(PHP研究所)を読んでから、俄然中国に対する興味が深まった。春江氏は中国の地方政府の実態はマフィアだと書いていたが、杉本氏の本を読んでそれが確認された。地方政府がマフィヤそのものであるなどということは、日本人には到底想像もできない事柄であった。そういう国が今や大国として世界で存在感を高めてきているのだ。そしてたまたま歴史家の岡田英弘氏の本を何冊か読むようになってから私は中国及び中国人についての認識を改めさせられることになったのである。最終的に中国についての私の認識を決定的に改めさせる原因となったのは、冷凍ギョウザ事件に対する中国側の対応とチベット暴動に対する中国政府の対応のあり方であった。この二つのことによって私は中国政府は基本的に信用できないと判断するようになった。
 先日来日した胡錦涛主席は冷凍ギョーザ事件について日中両政府の共同捜査を進展させるようなことを言っているが、このまま有耶無耶にしてしまおうというのが本心であろう。中国人は自分の非を認めないと指摘されているが、冷凍ギョーザ事件は正にその見本であった。残念ながらわが日本の福田首相には中国側に手厳しいことを言うだけの腹はないから中国側のペースに引き入れられるだけで終わってしまうだろう。日本の首相として、かつての日中戦争における日本の非を認めた上で、現在の中国側の非をきちんと指摘することが日本の国益と日本人の生命・安全を守るのが福田氏の義務なのだがピーナツのような小者には無理だったのであろう。
 ところで今私は岡田氏の『やはり奇妙な中国の常識』(ワック)を読んでいる。岡田氏の本を読んだのは,同じ出版社から刊行されている『このやっかいな国、中国』が初めてであったが、この本によって私の中国に対する目が大きく開かれたのであった。例えば私たちが学校で漢文として習うものは、中国人が日常話す中国語とは全く関係のない文章であることを私はこの本によって初めて知ったし、この漢文が中国という国家の運営の為には不可欠なコミュニケーションの手段であって秦の始皇帝が行なったとして世界史で習う「焚書坑儒」は官僚機構のコミュニケーション手段としての漢文の内容統制・整備の為のものであったこともこの本によって初めて知ったのであった。そして「科挙」とは、中国皇帝国家の官僚としての能力で一番重要な漢文作成能力の選抜試験であったということも初めて知った。これらの本を読むと、とてもじゃないが中国人などとは付合いたいとは思えなくなる。われわれ日本人からすると、人品・性格がとにかくいやらしいのである。日本人の異質性など中国人と比べたらかわいらしいものだ。
 さて『やはり奇妙な中国の常識』に魯迅の『狂人日記』からの長い引用が出ていた。中国人の「食人」、つまり「人肉食」の伝統について説明する為に引用されていたのだ。引用文は竹内好氏の翻訳したものであったが、翻訳というものについても関心があったので。私は中央公論社の文学全集の一巻として高橋和巳氏が翻訳した魯迅集を持っていたので竹内氏の訳文と比較してみた。『狂人日記』は一人称で書かれているのだが、竹内氏は「おれ」、高橋氏は「わたし」と訳していた。内容に則して判断すると、岡田氏が引用しているように竹内氏の「おれ」の方が適していると思う。
 ところで『狂人日記』のおれは、食人という言葉を何度も繰り返して書き、自分がその対象になっていると妄想している。われわれ日本人には食人などということは天から思いも及ばないことであるが、おれは以下のように日記に書いている。
 「四千年来、絶えず人間を食ってきた場所、そこにおれも、なが年暮らしてきたんだということが、きょう、やっとわかった。・・・・・・・
 四千年の食人の歴史を持つおれ。はじめはわからなかったが、いまわかった。」(ちくま文庫P35)
 狂人が書いたこの文章の意味は、果たして何だったのだろうか。高橋和巳氏は魯迅集の解説で『狂人日記』に触れて次のように書いている。
 「たとえば過去の中国の制度が、人に養われる者が人を治め、表に礼教を説きながら、人に養われる者が人を養ってくれる者を圧迫し踏みにじってきたことに気づいたとき、彼はそれを『人が人を食う』というかたちに無限化しつつ、自分の口もまた、知ると知らざるとにかかわらず血に汚れているのだと考えた。」(P479)
 高橋氏は『人が人を食う』を単なる文学的表現として解釈しているように思われるが、中国の歴史を知る岡田氏はそうではない、食人は中国の歴史的事実・伝統だったと言う。
 「ここに繰り返される『人間を食う』という表現を、単なる比喩だなどと日本人の常識で考えて、『中国の古い社会制度、とくに家族制度と、その精神的支えである儒教倫理の虚偽を暴露するという・・・・モチイフによって書かれた作品である。』などと中国文学の専門家でさえ言ってすましてしまうが、『狂人日記』はそんな生やさしいものではない。中国には四千年の食人の伝統があり、中国人は野蛮な人食い人種なんだぞ、と魯迅は告発しているのである。
 中国の歴史は魯迅の言うとおりりで、『食人』の二字の書かれていないページはない」(P86〜87)
 なお岡田氏は1960年代の文化革命の時期にも食人が行なわれていたことを、紅衛兵のリーダーの一人が体験記で語った文章を引用して示している。
 また岡田氏によると中国では日本では考えられないような人口減少が起きたりしているそうだ。
 「一八四年の黄巾の乱から百年近くも中国の統一が回復しなかったのは、人口の極端な減少が原因であった。戦乱のために農業がストップし、深刻な食料不足になって、中国人の大部分は餓死し、中原(黄河の中流域)は千里、人煙をたったといわれる惨状だった。」(P23)
 「人口の極端な減少」とは具体的には5千万人を超える人口が5百万人台へと十分の一にまで減ったのである。この過程でも食人が行われたに違いない。
 高橋和巳氏の小説を大学時代に沢山読んだが、彼がもともとは中国文学者であることを後になるまで知らなかった。残念ながら高橋氏も、食人の伝統を知らなかったのだから中国史については深い理解をもってはいなかったのである。岡田英弘氏の書いたようなことは今でこそ日本でも受入れられるが、昔は中国共産党政府は現在とは正反対の評価を受けていたのだから、中国史の真実は隠されていたのだ。日中両国の歴史認識の統一などということが言われるが、例えば中国における食人の歴史に日本が触れたりしたら共同研究など完全に決裂して、協議も何もあったものではないだろう。中国の食人の伝統がそうであるように、日本にとっては南京事件は中国人からどうこういってもらいたくないことである。こういったからといって私は日中戦争について何も反省する必要がないといっているのではない。中国人は極端に攻撃的な性格、自己正当化の性格を持っているから気をつける必要があるのだ。こういうことを福田首相も腹に収めて胡錦涛主席と会談すれば良いのだが、それだけの見識もないだろう。

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