『「武士道」解題』の著者を当ててください
先日古本屋で『「武士道」解題 ノーブレス・オブリージュとは』(小学館)という本がたまたま目に入って買ったが、この本の著者は全く意外な人であった。その名前を明かす前に、この本の中に書かれている文章をいくつか引用してみる。
「まことに残念なことには、1945年(昭和20年)8月15日以降の日本においては、そのような『大和魂』や『武士道』といった、日本・日本人特有の指導理念や道徳規範が、根底から否定され、足蹴にされ続けてきたのです。」(P9)
「いま日本を震撼させつつある学校の荒廃や少年非行、凶悪犯罪の横行、官僚の腐敗、指導者層の責任回避と転嫁、失業率の増大、少子化など、これからの国家の存亡にもかかわりかねないさまざまなネガティブな現象も、『過去を否定する』日本人の自虐的価値観と決して無縁ではない、と私は憂慮しています。そして、この傾向をこのまま放置しておけば、日本だけではなく世界全体が不幸になる、と心の底から危惧しているのです。」(P10)
以上の引用した二つの文章の内容からすると、著者は右翼的な思想をもった日本人であろうと想像されるに違いないが、実はこの著者はクリスチャンなのです。なぜクリスチャンがこんな右翼的なことを書くのだろうか、と皆さんはきっと疑問に思われるに違いないであろう。果たして日本人以外の誰が『武士道』を題にしたこんな本を書くだろうか。
ところがここで種明かしをすると、この本の著者は実は台湾の元総統の李登輝氏なのである。しかしこの本には翻訳者の名前が記されていないから李登輝氏自身が日本語で書いているのである。台湾には年配の人の中に日本語を話せる人がいるという話は私も何かで読んだ覚えがあったが、まさか日本語で本まで書く人がいるとは私には驚きであった。李登輝氏が自身について次のように書いていたので、その理由が判った。
「私が旧制の京都大学に進んで、『農業経済学』という学問分野に生涯を捧げようと決意したのも、そのような(一般教養を重視する)流れの中で、新渡戸稲造先生の哲学・理念やその人格に、読書と思索を通じて強い影響を受けたからにほかなりません。」(P19)
ところで大東亜戦争の前に朝鮮と台湾は大日本帝国に併合されその一部になった。大日本帝国に併合されて、植民地ではなく、日本の領土の一部になったのである。インドはイギリスに侵略されて植民地となり大英帝国を構成する一部となったが、台湾や朝鮮が大日本帝国の一部に繰り込まれたのとは根本的に異なるのだ。そしてその成り立ちは、日本の台湾や朝鮮に対する統治の面において英国のインドの植民地支配とは大きな違いをもたらしたのであった。そのことに対する評価について、李登輝氏は次のように書いています。
「戦後、台湾に戻ってからも、新渡戸先生をはじめとする日本の大先達たちが、いかに真剣かつ真摯に台湾の経済的自立のために献身的な努力を捧げてくださっていたかが痛いほどよくわかり、本当に日本文化のもとで基本的な教育や教養を受けてきて良かったなあ、としみじみ思い返したものです。」(P19)
そして日本の統治に対して李登輝氏は率直に次のように感謝の意を述べています。
「私ばかりではなく、古き良き日の輝かしき日本の『伝統』に触れることのできた世代は、大なり小なり、『台湾の今日あるは日本のおかげ』と感謝しているのです。」(P20)
ついでに韓国人の朴泰赫氏が書いた『醜い韓国人』(光文社カッパブックス)から朝鮮における日本の統治についての文章をいくつか紹介しておきたい。
「李朝末期までは、常人は、教育をまったく受けることができなかった。しかし、日本統治時代に入ってから、私の小、中学校時代には、とくに都市部では両班、中人、常人、奴婢の階級差が平等化され、常人階級の子どもたちの学歴が高まるようになった。」(P23)
「日韓併合以前の韓国の山々といえば、乱伐したり、燃料にしたりしたために、ほとんどがはげ山だった。日本統治時代には植林が進んだので、多くの山々が緑に覆われるようになっていた。」(P26)
「日本は、日本統治時代に韓国(北朝鮮もー引用者注)に大きな投資を行なったために、韓国が惨めだった状況から一足飛びに近代化したことは、どうしても否定できない事実である。日韓併合後、日本人は鉄道、道路、架橋、用水路、植林、河川整備、堤防、港湾、学校施設の建設をはじめとする、大規模な公共投資を始めた。」(P36)
大日本帝国には、帝国大学とよばれる国立大学があった。東大、京大、北海道大学、九州大学などがそうであるが、日本は台湾や朝鮮を併合した後に、それぞれ一つづつの帝国大学を創ったのである。欧米の帝国主義国家で果たして植民地に大学を作った例はあるのだろうか。この事実について、韓国人の大学教授である崔基鎬氏はその著『歴史再検証 日韓併合』(祥伝社黄金文庫)において次のように書いている。
「(朝鮮)総督府は義務教育のみならず、高等教育の充実にも力を注ぎ、1924年には、京城(けいじょう)帝国大学が創設された。ちなみに台北(たいほく)帝大の創設はその4年後の1928年であり、ともに大阪帝大の1931年、名古屋帝大1939年より早かった。」(P55)
この二人の韓国人の日本に好意的な内容の著作は果たして日本からの何らかの利益提供などがあってなされたものなのだろうか。李登輝元総統が日本に対して好意的に書いていることにも何かの裏があるというのだろうか。その辺は自分で上に紹介した本を読んでもらって判断をお願いしたい。
ところで李登輝氏は同じ中国人でありながら大陸の中国人に対して非常に厳しい評価をしている。たとえば、
「私が大陸の中国人のことをあまり評価しない裏には・・・・・・。まさに、『論語読みの論語知らず』で、口先ばかり。そして平気で嘘をつく。
中国文化はなぜこうまで腐り切ったのか。理由は極めて明快です。言行不一致、言っていることと、やっていることが全く違うからです。」(P54)
「そもそも『中華人民共和国』という擬制そのものが、根本的に嘘ではないですか。・・・いったい何万人、何百万人の無辜の民を殺してきたというのですか。」(P56)
なおついでに韓国人の中国人についての評価も紹介しておこう。韓国人の朴泰赫氏は中国人について次のように書いている。
「中国人の顕著な特徴は、無秩序で、汚なく、けたたましく、騒々しいことだ。まったく自己本位で、派閥を組んで争うことを好む。いつも人を妬んで、自制心を欠き、人の悪口ばかり言っている。ホラを吹く。体面ばかり重んじて、いたずらに誇り高い。協調精神を欠いていて、自分の過ちを認めようとしない。」(P49)
台湾人は中国人そのものだし、韓国人は長らく支那の王朝に朝貢する立場にあって、中華思想と支那文明の強い影響下にあった。そのような台湾人と韓国人がともに大陸の中国人について非常に厳しい見方・評価をしているのである。
日本人は従来の中国人に対する見方を根本的に改める必要があるのではないか。「自分の過ちを死んでも認めない」のが中国人の性格なのであるから、彼らと歴史認識の共通化を図るなどは天から諦めた方が良いのである。
同じ中国人でありながら、大陸の中国人と台湾の元総統・李登輝氏とでは全く日本に対する理解が違っているのである。戦前日本人が中国に対して侵略を行なったという点については、よくよく事実関係を確認することが必要なようである。過去に日本政府を代表する人たちが安易に侵略を認めて謝罪をしてきたことについては今後は改めることが必要であると思う。中国の共産党政府が押し付ける歴史認識にわれわれ日本人は安易に同意することなどできないし、してはいけないのである。
ところで雑誌WILLの8月号であったと思うが、渡部昇一氏がNHKが大日本帝国時代の日本の台湾統治に関する特別番組を放映したことについて、その内容が偽りであるとして批判する公開書簡を発表していたが、その問題点とはインタビューした台湾の人たちの発言内容が操作されて放送されていて、日本の台湾統治政策について悪かったとして語った点ばかりを選んで放映して、良かったと語った点を全く紹介しなかったことである。放送された内容を見て取材を受けた台湾の人たちがNHKに騙されたといって怒っているとのことであった。これこそは李登輝氏が憂慮している日本人の中にある『自虐的な価値観』の現れであるが、NHKのように影響力の大きなメディアがこうした体たらくではどうしようもないのである。
中国や韓国が何かと騒ぎ立てる『靖国神社』の問題について、李登輝氏は次のようにはっきりと、両国の行動を批判している。
「昔のことにとらわれるあまり、中国や韓国の人が日本の問題にくちばしをさしはさむのは、間違いだと思います。
私自身はクリスチャンですが、日本人として戦死した兄が祀られている靖国神社には、当然参拝したという気持ちをもってきました」(P132)
そして日本の政治家たちが中国や韓国のさしはさむくちばしにひるんで靖国参拝を避けることを次のように批判しています。
「戦犯が合祀されているといった事情があるのはわかりますが、一国の首相が何もこそこそとすることはないのではないでしょうか。」(P131)
ところで『戦犯』という問題の事態を引き起こしたのはアメリカであった。アメリカの肝いりで行なわれた東京裁判で日本の軍人が『戦犯』すなわち戦争犯罪人とされたのだが、果たしてアメリカには他国の人間を戦争犯罪人として裁く資格があるのだろうか。アメリカも一時期はイギリス、フランス、スペインなどと並ぶ帝国主義国であったのだ。19世紀末に闘われたスペインとの戦争でアメリカはフィリピンを奪ったが、太平洋戦争の結果フィリピンはようやくアメリカから独立することができたのである。ところが当時のアメリカはスペイン人の軍人を戦争犯罪人として裁いたりなどしなかった。大日本帝国の軍人だけを狙い撃ちにする極東軍事裁判(東京裁判)だったのである。そもそも戦争そのものは国際法上犯罪ではないのである。
東京裁判を扱った田中正明氏の『パール判事の日本無罪論』(小学館文庫)に、戦争犯罪についての法的な意味が説明されている。
「戦争の勝敗は時の運で、正・不正は勝敗の外にあるはずだ。敗れたがゆえに罪悪なのではない。勝ったがゆえに正義なのでもない。『法は一つ』である。・・・
・・・これまでの国際法には、戦争そのものを犯罪とするような規定はどこにもない。戦争そのものは法の領域外に置かれているのである。・・・・ただ戦争遂行の方法だけに、法的規律が存在するのみである。」(P18〜19)
かくして李登輝氏も戦争犯罪人というものについて正しく理解をしていないのであるが、それはそれとして中国人でありながら李登輝氏は日本人の『自虐史観』をおかしなものと考えているのであり、中国や韓国に靖国問題でくちばしをいれさせてきた日本の政治家などは今までおよそ不勉強で軟弱な精神の持ち主でしかなかったのである。この際に遅ればせでも新渡戸稲造氏の『武士道』を読んで、シッカリと性根の座った考え方を身に付けてもらわなければ困るのだ。特に新しく首相となった鳩山氏や外相の岡田氏などは是非とも早急に『自虐史観』から抜け出してもらって、国益を損なわないように中国や韓国との外交に当たってもらわなければならない。
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