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2009年7月 6日 (月)

「我が町」と感じるということ

 今日早朝近所を散歩していて、我が家近くに戻った時に、ふと「ここは我が町だ」と感じた。もう2年半近く住んでいたのだが、今住んでいる場所についてこんなことを感じたのは初めてであった。それに60年以上生きてきてあちこちに住んできたのだが、こんな感慨を持ったのも初めてであった。
 私の住んでいるところは全くの住宅街で、一軒家と共同住宅とが混在していて、住宅と住宅との間には空間があり、個人の土地の一部が自然と通路になっているところがいくつかある。そういうところを生徒たちが近道として利用し日々通り抜けている。私の住んでいる共同住宅の脇もそのような通路になっていて毎日生徒たちが通っている。私自身も近所のスーパーなどに買い物に行く時に便利に利用している。
 今朝散歩の帰り道、近所の脇道を同じように通り抜けようとして、私はあれと思ったのである。その脇道は前回私が利用した時まで草が膝くらいまでぼうぼうと生い茂って、通る時に道塞ぎになっていたのであったが、今朝見ると綺麗に刈られていて、黄色く枯れ草色に変わっていたのである。久しぶりに使ったのだったが、少し前に誰かが草を刈っていたのである。
 これが私に「我が町」という言葉をふと思い起こさせたのであった。この時初めて私は自分が住んでいるこの地域を「我が町」として強い情緒的な感慨を抱いたのである。草ぼうぼうの脇道が、草が刈られて歩き良いものになっていたという小さな変化が今住んでいるこの地域に対する愛着を呼び起こしたのである。こういう小さな変化が生じたと気が付くということ、それは「我が町」の証拠なのだ。
 それで思ったのであるが、日本人で自分の住んでいるところを「我が町」として愛着を以て感じられる人が果たして、今どれくらいいるのだろうか。自分の住む住居もただ仕事が終われば帰って寝るだけの場所ぐらいにしか意識されず、その地域の持つ個性・特徴などに全く気付くこともないというようなところには地域共同体は存在しない。今や地域競争対なおDというものはほとんど死語なのだ。特にマンション形態の共同住宅では、隣近所の住人も何も付合いもなく互いの顔も知らないといった、人間とのかかわりを疎ましく思うだけの人間しかいなくなった日本という社会はけして住みやすい社会ではありえないだろう。自分自身の体験に則して考えても、高齢化して年金生活となり、暇だけはたっぷりあるという生活にでもならなければ生活を楽しむ時間も持てないというのが日本の実態である。日本人にはもう少し生活を楽しむための時間を持つことが必要であると痛感する。日本社会の安定のためにも、自分の住むところを「我が町」として意識できる人が多ければ、その町は安心して住める町になるのに。

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