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2009年6月

2009年6月27日 (土)

『環境問題の杞憂』を読んで

 藤倉良氏の『環境問題の杞憂』(新潮新書)を読んだが、日本で今,環境問題というと、何と言っても「地球温暖化問題」ということになろう。氏は地球温暖化問題の基本的な問題は、気候変動にあると書いている。藤倉氏は大気中の温暖化ガスのCO2などが増加すると、大洋の深層海流の動きに変動が起きて地球が冷却化して氷河期になるかも知れないという説を紹介しているが、何とも不思議な話である。詳しい説明についてはこの本を読んでもらいたいが、私は地球の温度に影響する一番大きな要因は太陽光による輻射エネルギーであり、短期的には太陽活動の状態であると考える。ところが太陽光の輻射エネルギーの問題については長期的には丹羽敏雄氏が『数学は世界を解明できるか』(中公新書)で書いている以下の事情が重要である。つまり地球は太陽の回りを楕円形を描いて回転しているが、その楕円軌道は常に同一なものではなくて千年に一度くらい地球が太陽から大きく離れることがあって、その時には太陽光の輻射エネルギーが少なくなって地球が寒冷化すると書いている。
 藤倉氏が紹介している温暖化ガスによる温度上昇がもたらす地球の寒冷化の説は、太陽光が地球にもたらす輻射エネルギーの量が同じであっても、温暖化ガスの増加によって南極の氷河が大量に溶けると深層海流の動きに変化が起きて地球が冷却化するという理論であるが、地球全体にもたらされる太陽の輻射エネルギーの量が変わらなくても地球が寒冷化するというのは私には熱力学の法則に反しているとしか思われないのである。なお太陽の輻射エネルギーについては小出昭一郎・安孫子誠也氏は『エントロピーとはなんだろうか』(岩波書店)で、「地球は外燃機関」という表現で語っており、太陽のもたらす輻射エネルギーの量を抜きにして地球の温暖化や寒冷化を問題にすることは基本的におかしいと私は思う。
 また藤倉氏は日本国内の重要問題としてゴミ問題に触れて次のように書いている。
 「省エネルギーとゴミの発生抑制には、全国で市民、行政、企業が真剣に取り組んでいます。」(P205)
 札幌市でもゴミの発生抑制のために家庭ゴミの有料化が7月から始まるが、その説明会でも「ゴミの発生抑制」という言葉が使われていて、良く聞くとそれは「家庭ゴミの抑制」という意味なのであった。現在家庭ゴミは「燃えるゴミ」と呼ばれている。
 ところでゴミには「家庭から出る廃棄物」と「産業廃棄物」とがあるが、そもそもゴミとは何かを考えてみると、それは基本的に家庭で購入された物的な商品が消費された結果として発生するものと、企業などの活動の過程で消費された物的な商品(原材料または部品や消耗品、文房具など)の使用・消費の結果生じたものとがある。物理学の基本法則に「質量不変の法則」があるが、人間が使用する商品についてもそのことは絶対的に当て嵌まるのであるから、家庭であれ企業であれ、そこに購入された商品はすべて廃棄物という形か製造された商品という形に変わる。家庭すなわち人間の場合だと、食品は調理の過程で生じる廃棄物と、飲食されて屎尿の形で生じる廃棄物になって、前者は家庭ゴミとして出され、後者は都会では下水を通って下水処理場に送られて処理される。そして消費の過程においても商品の総質量は変わらないのである。したがって商品の購入量が絶対的に減らない限り家庭で出るゴミ(屎尿を含む)も減らないのであるが、札幌市が「ゴミの発生抑制」という場合、その意味は、従来家庭から「燃えるゴミ」という形で出されていたものの中から、リサイクルできるゴミはきちんとリサイクル用に出すようにして、「燃えるゴミ」の量を減らそうということなのであった。このことは普通の市民の人たちには誤解を招く、私に言わせると詐欺的な理屈である。藤倉氏もこの点については十分に理解していないと思われる。その原因は、恐らく自分で分別したゴミ出しをしたことがないからであろう。
 なおリサイクルできるゴミのうち、食品の容器・包装に使用されたプラスティック・ゴミについて、私が自分で分別して出すようになってよく分かったのであるが、食品のラップに使われたプラスティックには多くの場合説明のための紙のラベルが貼られていて、それらをいちいち剥がしてからごみに出す人間が果たしてどれほどいるのだろうかと疑問に思う。私自身そんなことなどとてもやっていられない。食品の容器・包装に使用されたプラスティックはそのままゴミとして出して、焼却するのが一番だという武田邦彦氏の意見が実務的には妥当であると考える。私自身食品製造会社にいて、食品容器・包装リサイクル法に基づく処理費用を支払うための事務作業を行なった経験があるが、食品の容器・包装に使用されたプラスティックは、ペットボトルを除けば実際にはリサイクルなど不可能であると思う。この制度は経済産業相の役人の天下りのための愚劣な政策に過ぎないと判断せざるを得ないのである。官僚どもはエコの名を傘にして、無意味なロクでもないことをしているのである。

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2009年6月23日 (火)

自民党の政権担当能力? 裸の王様になった自民党

 世論調査の結果を受けて自民党はいよいよ次回の衆議院選挙で敗北する可能性が大きくなった。民主党に政権を譲らなければ成らなくなることが確実になるにつれて、麻生首相は民主党の政権担当能力を疑う発言をしていたが、残念ながら最近の自民党のドタバタを見ていると自民党自体が政権担当能力を最早持っていないのではないかと疑わざるを得ないような体たらくである。今までは自民党に対抗しうる政党が存在しなかったために自民党の政権担当能力そのものが問われることもなかったのだが、民主党に政権を奪われそうになって浮き足立ってきたら自民党の本当の実力、その情けない実態がすっかり国民の眼にさらされてしまった。その結果は、自民党にもろくに人材はいないのだという結論になったのである。自民党は裸の王様に過ぎなかったのである。しかし民主党が政権を担当するとなると、その政権担当能力が直ちに問われることになるのであり、日本国民の判定に合格しなければ民主党も長く政権を担当することはできないだろう。
 私は民主党にも余り期待しすぎないようにする必要があると思うが、少なくとも政策運営に失敗すればすぐにも自民党に国民の支持が移るということを民主党は十分に理解しているであろうから、今までの自民党政権の政治とはやり方が変わるに違いないだろう。改革の基本の一つは、自民党がやってきた官僚依存の政策運営を政治主導に改めることであるが、そのためには民主党として政策スタッフを充実しなければならない。民主党にはそのための準備ができているのだろうか。
 ところでこれを書いているとき(2009/06/23)にNHK・BS1のニュースででイギリス下院議長に46歳の保守党議員が選任されたと伝えられたが、日本ではこのようなことが起こるとは考えられていない。そこに日本の政治における問題が潜んでいると私は考える。自民党の役員のジジイどもはもういい加減に引っ込んで若い連中に任せるべきである。そういう目に見える形で自民党の体質改善を国民に示すことができないようでは自民党に国民の支持は戻らないだろう。

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2009年6月22日 (月)

中国崩壊論 WHY?

 中国が今や世界的な経済大国であることは誰もが認めることであるが、それにもかかわらず一方で「中国崩壊」という意外な予測をする人が少なくない。今を時めく国についてこういった否定的なことが少なからぬ著作家によって語られると言うことは珍しい事態である。 ところで私が「中国崩壊」という言葉を初めて知ったのは、アメリカ在住の中国人ゴードン・チャン氏の『やがて中国の崩壊が始まる』(草思社)によってであった。その後井沢元彦氏や台湾人の黄文雄氏などそのテーマの本を読んだが、最近元日本経済新聞記者の水木楊氏の『北京炎上』(文春文庫)を知って今読んでいる最中であるが、中国の共産党政権というのは知れば知るほど嫌悪感が湧いてくる存在である。私が今まで読んだ中国関係の本で知る限りでは中国人民はいつも皇帝制度の下で食べることに苦しんできていて、そのために食人という習慣さえ歴史上起こり続いてきていて、魯迅の小説『狂人日記』でも食人の習慣が触れられているくらい当たり前のことであったのだ。そして清朝を最後に皇帝制度は終焉したのであるが、共産党政権は毛沢東の指導した大躍進などの愚劣な政策によって大飢饉を引き起こし、千万単位の餓死者を出したという。国民をまともに食べさせることもできないそうした経済政策の失敗はようやく鄧小平の市場経済の導入によってようやく克服されたのであったが、今度は市場経済制度のもたらす所得格差が極端に拡大する一方で、共産党幹部の腐敗によって農民の土地収奪などが頻発して、農民の不満が全国的に蓄積していっているようだ。他方高橋五郎氏の『農民も土も水も悲惨な中国農業』(朝日新書)によると、土地所有制度の無い中国では農民が農地を大事に扱わないことと共産党政権が農民に対して愚民政策で教育を与えなかったことが農業の基盤を掘り崩しているという。その結果どのようなことが将来中国で起きるのか、考えると怖い話である。
 中国崩壊論を論じる人たちがその共通の根拠とするところは、農民の極端に低い所得が共産党政権に対する不満をかき立てているということである。
 私は昨年アメリカ発の世界金融恐慌が起こるという信じられないような真逆の事態を目にすることができたが、今後万一中国崩壊つまり中国共産党独裁政権の崩壊をも見ることができるとしたら大変な歴史的な体験をすることのできる世代であったと思うのである。水木氏の小説はまだ半分ほどしか読んでいないが、『上海クライシス』(集英社)で春江一也氏も描いているように中国共産党政権は秘密警察による国民の抑圧抜きでは国を治めることができないという体質であって無理に無理を重ねて中国国民を統治しているにすぎない。
 私は新聞記者出身の水木氏のジャーナリストとしての感覚が中国崩壊を予想しているということには相当の信頼性を感じるのである。どれほど経済的に大国になったとしても中国は政治的に根本的な欠陥を有する国家であるから世界のリーダーとはなりえない国である。しかし中国政府は覇権国となって世界をリードしたいと考えているようなのである。今イランでは大統領選挙の結果をめぐってデモが起きているが、中国という国ではそうことさえ起こりえない反民主主義の国家であって、イランよりもたちが悪いのである。中国政府の崩壊は世界の人たちが世界平和のためには正に一番に望むべきことであると私は考えるものである。

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2009年6月21日 (日)

週刊誌の広告を楽しむ

 私は週刊誌は買わないので読むこともないが、ただ20年以上に渡って読んでいる日本経済新聞に出る週刊誌の広告だけは面白く読んでいる。今日(2009/06/20)の朝刊にいつものように週間新潮と週刊文春の広告が並んで出ていたが、どちらも一番の記事の内容が自民党が政権党から凋落することを予想していた。そのキャッチは前者では「自民党『下野前夜』物語」とあり、後者では「余命1ヶ月の麻生首相」とあった。新聞ではこういった予想は書かれることがないので、別の情報源として大変貴重である。 それにしても麻生首相のお粗末さは情けない限りであり、更には自民党がまともな総裁としての能力を持った人物を全く持っていない政権担当能力など本当はがなかった政党であったことを最近3代の首相の進退によって自ら国民の眼の前に明らかにしたが、それはまた日本が最近全く経済的にも揮わなかった根本原因でもあったのだと思う。
 また障害者団体の証明書偽造を行なったという厚生労働省の雇用均等・児童家庭局の局長であった村木厚子のニュースについては、その原因が政治家からの依頼であったとのことであるが、新聞ではその代議士が誰であったかを伝えていなかったが、今日の週刊新潮の広告ではその名前が出ていた。それによると民主党の石井一副代表だそうである。なぜ新聞では疑われた議員の名前を出すことができないのか。随分とお行儀の良いことだが、マスコミとしての役割を十分果たしていないというべきであろう。したがって新聞が上品なために国民が知りえない情報は週刊誌から得るしかないのだろうから、私はこれからも週刊誌の広告を楽しんでみることとしよう。
 それにしても厚生労働省では次々とよくも不祥事が現れるものだと感心する。やはりキャリア官僚などという連中は本人たちはエリートを自認しているようだが、飛んでもない話で、もはやロクデナシの集団でしかないという私の判断は間違っていないのである。

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2009年6月20日 (土)

宗教指導者は何様か

 先日行われたイランの大統領選挙では、現職のアハマデネジャド大統領が対抗馬のムサビ元首相の約倍の得票率で再選されたと報道されたが、その選挙に不正があったとしてムサビ氏の支持者がデモを行なっていた。政治後進国で行われる選挙では、選挙運動そのものが公正に行なわれない場合が多いようだし、投票用紙の開票・集計も公正に行われているように思われないケースが多い。イランの場合もその公正さは何も担保されていないが、ハメネイ氏は選挙結果に従うように国民に訴えている。ハメネイ氏も民主主義を口に出すのだが、しかし民主主義の何たるかをり全く解してはいないのだ。
 政治先進国であるイギリスや日本では投票の開票結果が疑われたという話は聞かない。ただアメリカでは必ずしも公正な開票が行われないケースがあるようで、2000年のジョージ・W・ブッシュ氏が当選したアメリカの大統領選挙ではブッシュ氏の弟が知事を務めるカリフォルニア州での開票に不正があったことは今や公然の秘密であるのだが。
 ところで今回のイランの大統領選挙ではイスラム教の金曜礼拝でイランの最高権力者といわれる宗教指導者のハメネイ氏が選挙に不正はなかったと演説した。なぜ宗教指導者でしかない人間が選挙結果についてどうこういう資格があるのだろうかと、私には不思議で仕方がない。イスラム社会のことは少し本で読んだりして勉強したが、イスラム社会では政教分離はありえない話のようで、イスラム教の教えのほうがすべてに優先するという、日本人にはとうてい理解できない社会なのである。ハメネイ氏はイランの最高権力者であるというが、どのようにして彼はそんな権力を手に入れたのか。その過程は私には全く不明である。そして金曜礼拝の場でイスラム教徒の国民が手を振り上げてハメネイ氏を支持する姿は、ヒトラーを支持したドイツ国民と同じに見える。その光景は、彼らはすべてマインドコントロールをうけている人間たちであることを現している。
 超越神を信仰の基礎とする一神教の場合、その超越性のゆえに論理的に信徒である人間は神の教えや神の代理人である宗教指導者に対して絶対服従以外の姿勢を取ることはできないのである。それは人間にとって全く危険な宗教であるということだ。
 今私はリチャード・ドーキンスの『神は妄想である 宗教との決別』(早川書房)を読み直しているが、ドーキンスの言うように宗教は不当に高く敬われてきたと私も思う。特に超越的な唯一神を信仰の基礎に置く一神教は、そもそも唯一絶対の超越神が存在するということを何ら証明する必要もなしに信徒に信仰させているのだが、その信仰は子供のうちから家庭と社会に満ちている一神教信仰の雰囲気に影響されて信徒は何も考えることもないうちに一神教徒になってしまっており、これこそは典型的なマインドコントロールなのではないか。つまり特定の宗教が強い影響力を持つ社会では、その宗教的な慣習がその構成員を宗教的な自覚も何もない内にその特定の宗教に取り込んでしまっているのである。動物の世界について言うインプリンティング(刷り込み)が人間の場合でも一神教の社会では宗教については行われているのである。そのような社会であればこそ、宗教指導者が社会の最高権力者であることも可能なのである。彼が手に入れている社会に対する影響力は、果たして正当なものであるといえるのだろうか。私の考え方では、彼ら宗教指導者といわれる連中は一体何様なのだろうか。マインドコントロールをした人々から崇められていい気になっている人間でしかないではないか。
 宗教心といっても、阿満利麿氏の『日本人はなぜ無宗教なのか』(筑摩新書)を読むと教祖がいて教義書が書かれており教団もある「創唱宗教」と「共同体の中で自然に発生して共同体構成員によって信仰されている、はっきりした教義もなくも教祖もいない「自然宗教」とでは内容が違っており、日本人はほとんどが「自然宗教」を信仰していて、一神教などの「創唱宗教」には馴染まないでいるという。そして社会において大きな問題を起こしてきた宗教は歴史的に見てもほとんどが一神教を信じる人間たちであった。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の間で、また同じ一神教の中で宗派によって激しい争いを起こしては宗教の旗印の下で互いに殺し合ってさえいたのである。広く歴史的に見る限り一神教は人間にとっては災厄であったといっていいと私は思う。ところが宗教はその実態を無視されてきた。ドーキンスは宗教は不当にも高い尊敬受けてきたと次のように非常に厳しい口調で書いている。
 「人間社会においては宗教に対し、常軌を逸した過剰なまでの敬意が払われている。」(P42)
 ドーキンスは生物学者であるが、経済学者の竹内靖雄氏は『<脱>宗教のすすめ』(PHP新書)で宗教というものは卒業した方がよいと主張している。そして竹内氏の評価では、キリスト教こそが一番問題であって、わざわざ1章を設けていて、第6章は「もっとも恐ろしい宗教 キリスト教の犯罪歴」となっている。
 宗教指導者が社会の最高権力者でいると言うことは大変に問題のある事態なのであるが、イスラム教徒は全くそんな風には考えられないようにマインドコントロールをうけているし、普通の日本人は単にイランは少し変わった国だくらいにしか思っていないだろう。宗教はその悪事の実態を広く知られる必要があるのであり、それを通して初めて「宗教卒業」も可能になるだろう。先ずは宗教などは立派でも何でもないものであることを誰もが理解すれば世の中はもっとまともなものになるだろう。

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2009年6月 5日 (金)

中国政府からの欠陥製品の相互通報体制の提案って本当?

 今日(2009/06/05)の日本経済新聞朝刊に中国の王岐山副首相が、「中国製品の品質向上や食品安全に向けて、日中両国で欠陥製品を通報し調査する仕組みを導入するよう提案した。」と報じていたが、これを読んで私はすぐに大洋食品の冷凍ギョーザ事件の解明が全く中国側の怠慢か意図的なサボタージュ(恐らく迷宮入りを意図したものであろうが)によって頓挫していることを思い出して、酷く不愉快な気分になった。いつでも自分たちに不都合なことは徹底的に隠し通そうとするのが中国の伝統的な対応なのであるが、日本政府はこの中国側の提案に対して、ハイハイと何の疑問も抱かずに応じるつもりなのか。もしそうだとしたら、日本政府は何と情けない抜け作であることだろう。それは自民党の国会議員たちが中国に対して毅然とした対応ができないからなのだが、いくら中国が日本にとっての大きな貿易先であっても、筋を通すべきところは通さなければ中国政府によってとことん舐められてしまうのである。
 そもそも中国人は日本人から見ると全く面の皮が厚く腹黒な連中であって、そのことは中国人自身が書いた『厚黒学』(徳間文庫)を読むと一目瞭然である。著者の李宗吾によると、中国で英雄豪傑といわれた人たちは徹底的に面の皮が厚くまた腹黒い人たちであったということであるが、未だに中国政府の対応を見ると「厚黒」の伝統は完璧に維持されているようである。
 中国政府は都合の悪いことは徹底的に隠し通そうとする。例えば今日のNHK・BSニュースに映し出されていたことだが、天安門事件20周年ということで外国メディアが天安門で撮影しようとするとそれを私服を着た連中が雨も降っていないの傘をさしてカメラの前に立ちふさがりレポーターの話すところを徹底的に遮ろうとしていた。暴力的でないだけましなのだが、それはレポーターが外国人だからであろう。もし中国人なら直ちに暴力を用いても逮捕したに違いないのである。全く中国政府のやることは一面においては全くの偽り行為そのものなのである。イギリス政府は、アラビアのロレンスと呼ばれた男が中東で活動していた第一次大戦の頃、2枚舌・3枚舌の外交を行なって中東に大きな禍根を遺したのであったが、現代では中国がイギリスのやったことを繰り返して恥じないでいる。しかし本来中国人こそが2枚舌・3枚舌の元祖であり、厚黒学の徹底した実践者なのである。
 こうして中国の王岐山副首相はお得意の厚黒学を実践して、冷凍ギョーザ事件の解明などは頬被りして日本の進んだ品質管理のやり方を盗み出そうというのである。この提案については、日本に果たしてどれほどのメリットがあるのだろうか。中国からの輸入に依存する部分はなくならないだろうから中国製品の品質向上そのものは確かに日本人にとってもメリットであるが、中国製品の大きな品質不良の問題については中国政府に原因解明の責任を負わせることを必ず約束させなければならないと思う。もしそれを誠実に実行しない場合には日本政府は直ちに輸入停止の措置をとることができるようにしなければならないし、またその輸入停止措置に中国が報復的に対抗措置をとることができないようにしなければならない。そういう点に対して日本政府は毅然とした態度で交渉に臨んでもらわわなければ困るのである。

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ますます奇妙な韓国人

 韓国の前大統領・盧泰愚氏の自殺に関する韓国人の反応は日本人である私などには全く理解し難いものだと既に書いたが、その後のこの事件に関する韓国社会の動きを見るとますます韓国人の奇妙さを強く感じる。6月3日韓国の検察総長が、今回の盧武鉉氏の自殺が検察官の不正資金疑惑の厳しい取り調べが原因であったとして韓国民から激しい批判を受けていることを理由に総長としての職務を適切に遂行できないといって辞表を提出した。この辞任劇に対して私が抱いた疑問は以下の通りである。
 ①盧武鉉氏の不正資金疑惑を厳しく取り調べることは不法なことであるのか。
 ②取り調べのやり方の中で具体的にどのような点に問題・不法な点があったというのか。
 ③盧武鉉氏が自殺をしたのには、何らかの理由があるはずであり、例えば氏は名誉意識が 非常に高くて検察の取り調べを受けたこと自体が堪え難いことであったとしたら、それが 検察の責任だと韓国民は言うのであろうか。疑惑を受けるようなことを起こしたのは盧武 鉉氏またはその妻であるから、当然のこととしてその責任を負わなければならないので  あって、そのことに対して本人たち以外に責めを負う人間はいないではないか。検察の追 及の過程で極端な違法な手段がもちいられた形跡があるとでも言うのだろうか。
 検察官が国家の法的秩序を維持するために、たとえ前の大統領であっても逮捕し取り調べることは当然のことであり、もし前の大統領であったということを理由に法律違反を見逃すようなことがあったとしたら、むしろそのことの方が大きな問題である。
 私はいかに盧武鉉氏が韓国民に人気があったとしても、そのことは盧武鉉氏の不正を許す理由にはなりえないのであって厳しくその責任を追及しなければならない。現在の韓国民がその理不尽な感情的・情緒的な振舞いを改めない限り韓国は本当の意味での近代国家足りえないといわざるを得ないのである。
 この事件によって、残念ながら韓国民は日本人から見て全く異質な人たちなのであることを、私は初めて実感を持って思い知らされたのであった。
 今日(2009/06/05)のNHK・BSテレビのニュースで韓国の検察総長が辞任したと伝えられたが、検察庁では盧武鉉前大統領の不正資金疑惑の捜査を今後も進めるかどうかに苦慮しているという。これは法治国家の根本を揺るがす事態である。国民の意向が捜査に批判的であることが、法律に優先するかのごとくであり、韓国民は未だに法治国家とは何かを理解していないのだし、マスコミもそういったことをキチンと韓国民に伝えようとしていないようなのである。情緒的な行動こそが韓国民の基本的な行動原理なのだ。こうした韓国民と日本人のあいだで、一体どうやって歴史認識の共通化を図ることができるといえるのだろうか。とんでもない話である。

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2009年6月 3日 (水)

GMの破綻

 一昨日(2009/06/01)GMが米連邦破産法11条の適用を申請して、GMの破綻が確定して、いったんアメリカ政府が60%の株式を保有する形で国有化されて再建をめざすことになった。日本経済新聞には、GMの最高リストラ責任者(CRO)として、アルバート・コッチ氏が就任したと報じている。コッチ氏は企業再生のコンサルティング会社、アリックスパートナーズの幹部だそうだ。こうした分野に專門化したコンサルティング会社が存在するなど、私は全く知らなかったが、アメリカではどうやらあらゆる分野のコンサルティング会社があるようだ。
 ところで私は昔自動車業界のアナリスト・アリアン・ケラー女史の書いた『GM帝国の崩壊』(草思社)を読んだが、確かGMはトヨタに世界販売台数でいずれ抜かれると書いていたと思う。もう10年以上も前の話である。また当時のロジャー・スミス会長が進めた全自動の自動車組立工場の失敗も描いていたが、私はアーサー・ヘイリーの小説『自動車』(新潮文庫)を読んで、アメリカの自動車組立工場における労働者の質の悪さに驚いた一方、トヨタシステムに関する本を読んでトヨタの工場の労働者が如何にアメリカの労働者と違うかを知った。
 全自動の自動車組立工場を夢見たGMの経営者たちは、自分たちの組立工場から労働者を最大限に排除して高品質の車を作りたいと考えたのだと思う。アメリカ企業における経営者と労働者とは、いわば不倶戴天の敵のようなものであることが『自動車』を読んでみると分かるのである。GMの経営者は自社の労働者を信用しないから、プログラム通りに作業する、反抗などは絶対しない存在であるロボットだけで自動車の組立を行なう工場を作ろうとしたのであろう。しかし自動車の組立製造ラインというのはその工程の一部でもトラブルが起きると全体が止まってしまうものであり、したがってトヨタはやたらと新しく出てきた機械設備は使わない。その機械設備が問題なく所定の機能を発揮することを徹底的に検証して確認した後にしか組立ラインには導入しなかったという。ところがGMではそういった確認抜きでロボットを導入したものだから最新鋭の全自動の組立ラインはまともには稼働することが全くなかったという。その混乱したロボットの作業の様子を、2009/06/02の日本経済新聞朝刊の特集「GM、栄光が阻んだ変革」の書き出しでは次のように描いている。
 「作業ロボットが車ではなく、互いに塗料を吹きつけるーー。1980年代のGM工場は混乱を極めていた。机上で生まれた『動かない未来工場』づくりに1兆円単位の巨額を投じ、IT(情報技術)など本業と関係が薄い企業の買収にも走った。しかし、すべて無駄。」
 トヨタの経営陣が組立の現場を良く知っているのに対して、GMの経営トップは経理出身者が多く現場を知らないために上のような馬鹿なことをして資金をドブに捨てていたのである。GMの経営トップとして有名なアルフレッド・P・スローン・Jrならけっしてしなかったであろうことを散々したのである。GMの経営陣は本当の意味で真面目に車作りをしようとは全くしなかったのである。かくして昨年度GMは世界一の自動車メーカーの地位から滑り落ちてしまった。それだけではない。企業としても存続できなくなっていた。GMは既に6兆円を超える債務超過に陥っていたという。今回のGMの破綻は消費者に対して不誠実な経営陣の自業自得だったのであり、市場はGMに退場を命じたのだ。

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麻生首相の政治外の効用

 今日(2009/06/03)朝のNHK・BSニュースで『麻生首相のおかげ?』とのキャプションで、この半年に出版された本のベストセラーのトップが漢字の解説本であったと報道された。何かと話題を提供してきた麻生首相だが、国民のためにはほとんど貢献はなかったけれども出版界には大いに貢献したのであった。これで麻生首相、内容はともかくとして歴史に名を残すことができたから、目立ちたがり屋の麻生首相としては大いに満足感を覚えたに違いない。しかし日本国民としては、情けなさを強く感じてしまうだけだ。日本の政治家には全く人材が払底しているのではないか。
 しかし人材払底は日本ばかりではないようだ。先日イギリスでは議員歳費の不当な請求によって下院議長が300年ぶりに自ら辞任を言い出さざるを得なくなったと報道されていたが、さらに労働党のスミス内相が同じ理由で辞任に追い込まれた。お金が無い訳でもない人たちが、酷く汚いお金への執着を示している。ロイヤルバンク・オブ・スコットランドの前会長が途方もない金額の年金の受給の権利を得て退職したが、経営トップを務めた人間が全く恥ずべきお金への執着をさらすのは最近の拝金主義の蔓延を示している。豊かな社会の人間というのはいよいよ卑しい人間なのだ。どうしてこういう体たらくになってしまったのであろうか。
 不景気な時世の中で、笑いは大いに日本国民の精神生活の健康を保つために役に立つものである。私は麻生首相のニュースを見て、声を上げて笑ってしまった。マンガ好きの首相には大変お似合いの内容のニュースではあった。果たしてこれは自民党の党勢回復に役に立つのだろうか、それとも決定的なな撃をあたえる一助になるのであろうか。大袈裟に考え過ぎか。それでも次の衆議院選挙の結結果がどうなるのか、大いに楽しみに待たれるのである。その結果次第では、麻生首相はまた歴史に名を残すことができるかも知れないのである。

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