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2009年4月

2009年4月29日 (水)

NTTフレッツ光回戦のお粗末

 もう5年くらいNTTの光回戦フレッツを利用しているが、実際に利用してみて最高通信速度100メガという謳い文句に比べて、到底そんなスピードではないことをかねがね不満に思ってきた。実際のスピードは100メガよりももっと遅いことは理解していたが、それでもデータをダウンロードする時に表示されるスピードを見ると随分遅いと感じていたのである。それもあって最近新聞折り込みで、KDDIが1ギガの光回戦を提供するという広告を出していて、しかもフレッツを利用するよりも安い料金を提示していたので、ひかり電話の番号が変わるという不便はあったが、年金生活者にとっては何よりも出費の節約ができるということで切り替えることにして、申し込みを行なった。
 少しして工事日が5月中旬に決まって、それではLANケーブルも向上した通信スピードに適応する品質のものを用意しなければと考え、どのようなものが必要なのだろうかと調べるとチラシにLANケーブルはカテゴリ5e以上のものと出ていたので早速ヤマダ電機に買いに行って、部屋に戻ってまだ早いけれども早速付け直したのである。今まではLANケーブルのカテゴリなどは全く意識していなかったのであるが、その時従来使用していたLANケーブルを調べて見るとひかり電話対応ルーターから私のパソコンまでをつないでいたケーブルはカテゴリ6であったが、回線終端装置とひかり電話対応ルータとの間をつないでいたケーブルはカテゴリ5であることがわかった。。そこでその回線もカテゴリ6の回線に替えて、すべての回線をカテゴリ6にしてインターネットを利用してみたら、何と目に見えてダウンロードのスピードが速くなったのである。ルータから私のパソコンまでをつなぐケーブルは私が買ってきたものを使用していたのだが、回線終端装置とひかり電話対応ルータとの間をつなぐケーブルはNTTの工事担当者が持参したものを使用していたのであった。つまりNTTが使用していたLANケーブルが通信スピードを遅くする原因になっていたのである。これは信じられないようなお粗末さであると思う。NTTは光回戦を提供しているプロであるのに、最善の効果を発揮するような資材を使用していなかったのである。
 これは利用者に対する一種の裏切り行為といっても良いのではないだろうか。普通に光回線を利用する人間はNTTが最善の工事を行なってくれていると思うだろう。回線終端装置とひかり電話対応ルータとの間をつなぐケーブルをカテゴリ5でなくカテゴリ6のものを使用したとしても大した金額の差にはならない。この事実を知って私はNTTに対する信頼をなくしたのである。思えば山梨の甲府市でフレッツの利用を申し込んだ時に、NTTの担当者が工事の手配をキチンとしていなかったために光回戦の利用が随分遅れるというケチが付いたのであるが、今度はフレッツの利用をやめることにした時、NTTの工事のお粗末さに気づくこととなった次第であった。ちなみにKDDIの工事日程の対応などはNTTよりも断然素早いものであったことを付け加えておく。またKDDIから送られてきた確認事項を記載した文書には、「ご利用のパソコン、LANNケーブルのスペック、宅内LAN(無線LAN等)のご利用状況によっては実行スピードが低下する場合があります。」と説明が記載されており、利用者には親切である。

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2009年4月28日 (火)

『農民も土も水も悲惨な中国農業』を読んで

 高橋五郎氏の『農民も土も水も悲惨な中国農業』(朝日新書)を読んで、改めて中国の内部事情における農民の存在の大きさを知った。高橋氏は、中国の国内情勢の不安定要因として中国農民の不満のうっ積を一番の要因にあげている。今まで読んできた中国関係の本によって中国共産党政権が農民に対してきちんとした教育を受ける機会を与えず、愚民政策を採ってきたことが、今になって中国社会の発展にとっての大きな制約要因になってきている。貧しさから抜け出せず将来に希望を見出せない農民に広く共産党政府への反発意識が芽生えてきているようだ。
 高橋氏のこの本を読んで驚いたことの一つに、中国の農民が未だに広く人糞を肥料として使用しているということであった。日本においてもかつては人糞を肥料として使用していたが、その場合でも地中に埋めた肥たごに人糞を入れて醗酵させ、寄生虫などを殺して使用していたのだが、中国ではこうした処理をせずに無処理の人糞を田畑に投入するために害虫が発生し、大量の農薬使用に繋がっているという。ここに中国の農作物の危険の原因があるのである。中国の農民は自分の耕す農地の使用権を国から与えられているだけで所有権を持たないために、土地への愛着を持つことができず農業の基本である土作りという意識を持てないでいる。農業技術の知識も低く、人糞肥料の他に化学肥料と農薬を大量投入することしか知らないので、表土が流出しやすくなり地力が失われていく。また中国の農民は農業を継続することに対して全く意欲を持っておらず、後継者がいない状態であって、その代わりとして農業を担う主体が企業形態に拡大しているとのことであるが、この場合も目先の利益優先で土作りといったことに対しての理解が全くないようで、長い目で見てどこまで中国農業が生産力を維持できるか問題であるようだ。
 もう一つこの本で知った重要な事柄は、日本人の食が中国農業の作物に大きく依存しているということであった。上に述べたような中国農業の将来性を考慮すると、中国からの輸入に大きく依存する日本人の食は非常にもろい状態に置かれていることになる。ところが日本政府の農業政策自体に非常に問題があると、高橋氏は指摘している。戦後の農業政策は農家保護に偏りすぎて、農家出身者以外の者に農業に従事する機会を与えないようにと力を尽くしてきた。その結果現在既に農業従事者の高齢化が極端に進行している日本の農業の将来は、現状のままでは生産力を失っていくだけなのだ。こうした状態を作りだしたのは政治家と農林水産省の官僚たちであるが、未だに適切な現状認識をもつことなく従来の政策を惰性的に維持している。私は厚生労働省の官僚どもはもどうしようもない思っているが、農林水産省の官僚たちも全く同じ状態なのだ。国民のためになる行政を行なわず、天下りと渡りで私腹を肥やすだけの官僚たちを政治家はきちんと管理してくれなくては困るのであるが、官僚依存の形でしか政治を行なえなかった自民党の政治家たちは全く無能そのものであると考えざるを得ないのである。
 日本では経済活動に占める農業の金額的な位置づけは現在では小さなものになっているが、生物としての人間が生きていく上に食料は絶対的な条件である。現代の経済活動においていくら工業製品やサービスが経済に占める比重を大きくしているとしても、食料なしでは人間は生きていけないのである。食は人間存在の根本条件なのである。それにもかかわらず農林水産省は日本国民の食料確保に必要な対策を行なってこなかったのである。農林水産省の役人たちは国民の税金を無駄に使ってきたといって間違いないであろう。農林水産省の役人たちを監督するべき大臣を送りだしてきた、自民党の国会議員たちもまた国民のためになる行動を取ってこなかったのである。日本の国会議員も役人も日本国民の食料確保という大きな使命に関しては結果から評価する限りは全く無能・無策でしかなかったのである。
 60を超えた私などは、これからどうなるのだろうと強い関心を持って事態を観察するつもりであるが、幼い子どもたちや若い人たちはもっと深刻な影響を受ける立場であり、場合によっては戦中・戦後の食料難にも匹敵する事態に遭遇するかも知れないのである。

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2009年4月24日 (金)

猥褻の概念はまともなものか

 スマップの草彅剛が酩酊して公園で全裸になっていたたことが発覚して公然猥褻罪で警察に逮捕されたが、そもそも猥褻という概念はまともなものなのだろうかと私は以前から大いに疑問に思っている。小さな子どもの性器は全く猥褻とは無関係なものと受け止められているのだが、大人の人間の身体の一部である性器は、他の身体部分と違ってなぜか猥褻であると世間的に了解されている。したがって大人が裸であっても、短パンをはいていれば何でもないのに、性器を覆わなかっただけで全く違った事態になるのである。ところが公衆浴場や温泉の風呂といった場所ではたとえ性器を隠さずに全裸であっても猥褻罪には該当しないことは明白である。ということは同じく全裸であっても、場所によっては全く法律的な取り扱いが違うのであって、裸であることが当然の場所では性器も猥褻なものではなくなるのである。
 ところでアフリカの哺乳類などのドキュメンタリーでは交尾をする場面などもテレビで放映されることがあるが、人間ではないから猥褻罪には該当しない。ということは哺乳類の性器であっても、」人間のものでなければ猥褻ではないのである。なぜ人間の性器だけが猥褻なのであろうか。猥褻という概念は全く人間的なものであり、特殊な性質のものなのである。猥褻という観念は、一神教社会での神の概念と同じように、刷り込みによって何の自覚もないままに人間に植えつけられているのである。猥褻という観念にはなんら正当な根拠はないのである。かつては恥毛は猥褻であると受け止められていたのだが、いつのまにか猥褻の対象から外されてしまったから、ヘアヌードなどといった写真集が大手を振って出版される有り様である。
 人間の顔は当然隠す訳には行かないから人間の身体の中では常時露出されているが、誰もそれを猥褻だとは言わない。(唯一の例外は、イスラム社会の女性ぐらいのものであろうが、これは宗教的なイデオロギーによるものだ。)一方人間の大人の性器は普通いつも衣装の中に隠されている。どうやら衣装の中に隠されているものが猥褻と受取られるようだ。例えば女性が乳房を露出して歩いていた場合に、彼女は猥褻罪で捕まえられるのだろうか。まあ普通に考えると、乳房も普通衣装に覆われて隠されていおり、乳房を露出して歩くような女性はいないが、それでも思考実験としてそうした状況を考えた場合に、果たして彼女は猥褻罪に該当するとして警察に捕まえられるのであろうか。昔は女性が赤ん坊に授乳するために乳房を公衆の前で露出して子供に含ませていたものだが、誰もそれを猥褻であるとは見做さなかった。ということは乳房そのものが猥褻なのではなくて、問題は乳房が露出されている状況なのである。性器も同じなのである。風呂場では露出されていても猥褻ではなくて、世間で普通隠すべきであると受け止められている状況で露出されている場合にのみ猥褻なのである。なぜ通常の状況では性器は猥褻であると受取られるのであろうか。
 ヌーデストクラブでは誰もが性器を露出しているが、誰もその性器を猥褻なものであるとは受け止めていない。ということは性器を猥褻なものであるとするかどうかは、価値観すなわちイデオロギーの問題なのである。どうも世の親たちは子どもたちが大人の性器を見ることから遠ざけようと考えているようだ。それは世の親たちが性器を猥褻なものであると考えているからである。もし誰もがそのように考えていなければ、たとえ性器を露出して歩いている人がいても誰もその人間を猥褻な存在とは考えなかったはずである。そのような社会であったなら、草彅剛も公然猥褻罪で逮捕されることもなかったであろう。私は猥褻罪などというものは世の中に積極的な意味を持っているのであろうか全く疑問に思っている。むしろ世の中に害悪を与えているとさえ思う者である。政治家などは自分の政治家という地位を確保するために世論に迎合するだけであるから、猥褻罪という刑法上の罪を真剣に検討するなどということは出来ない。したがって日本において猥褻罪は、内容の変化することはあっても刑法からなくなることはないだろう。戦前に存在した姦通罪は戦後アメリカの外圧によって刑法からなくなったが、私は猥褻罪も同じ運命をたどっても構わないはずだと思うのだが、強烈な外圧などは起こりそうもないから日本人は何も手を打たないだろう。
 草彅剛の全裸は誰にどんな迷惑をかけたというのだろうか。誰かそれを私に説明してもらいたいものである。

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2009年4月 3日 (金)

実態に合った制限速度を決めるべきである

 以下は私が日本政府の官邸に意見としてメールしたものである。以前にも現在の自動車の制限スピードの設定が実態に全くあっておらず、その間違った制限速度によってスピード違反の取り締まりが行われ犯罪者が作られているのは許せないと書き送ったことがある。今回は制限速度が抜本的に見直されるという記事を読んでまた送ったのだが、基準となる制限スピードの考え方が基本的には何ら変わっておらず(基準は40〜60kというものである)、相変わらず実態からかけ離れたナンセンスなものになっている。この機会に政府に国民の声を大勢の人が届ける必要が有ると思う。賛同する人は官邸にどんどんメールしてください。

 今日(2009/04/03)の日本経済新聞に「速度制限の抜本的見直しへ」という記事が出ていました。基準速度40〜60Kを基準にして場合によっては60kを超える制限速度にすることも可能と出ていましたが、今なお基準速度が40〜60kというのは全く実態を離れたナンセンスなものであると思います。実際に車を運転していて経験した限りでは、例えば50kの速度制限の道路を制限を守って走っている車はほとんどない。50kの自動車専用道路なら最低でも60k,速い人は80kでも運転していて、それでも普通は事故を起こしていない。私は制限速度70kでも何も問題はないと思う。こういう基準速度を誰が決めるのか、誰も守っていない基準などは私は全くナンセンスだと思う。自分で車を運転したこともないような人間が決めているのではないか。こういうナンセンスは止めるべきである。実態に合わないナンセンスな制限速度で速度違反の犯罪者を創りだすのは法治国家のあり方としても大いに問題であり、もういいかげんに止めるべきである。もっと良識を持って実態に合う制限速度を決めるなければいけない。

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