ペイゲルス女史の『悪魔の起源』を読んでガザ紛争を見ると
今日(2009/01/07)ようやくペイゲルス女史の『悪魔の起源』(青土社)を読みおえた。特に「第5章 サタンの地上の王国 キリスト教徒と異端者」を読んでいて強く感じたのであるが、キリスト教神学とは確かに論理的なものではあるのだが、根拠の無い前提に基づいて憶測に憶測を重ねるだけの議論であるとしか思われず、およそ宗教的な人間でない私などは読んでいて全くむなしさを覚えるものであった。生物進化学者のリチャード・ドーキンスが『神は妄想である』(早川書房)で宗教そのものを徹底的に批判しているが、『悪魔の起源』を読んでその理由が一層納得がいった。神の存在も悪魔の存在も、天使も霊も聖書のなかに良く出てくるようだが、宗教そのものは、ペイゲルス女史の言うように「不可視の世界」についての説明を行なうものなのであり、人々に神や悪魔、霊や天使のことを話としては語ることができても、その存在の根拠を示すことはできないものである。しかし宗教的な人たちは、その内容のもっともらしさによって納得して話を受け入れるのである。しかし私はこの本の第5章に引用されていた神学の議論を読んでいて、その話には全く根拠がないと感じてしまったために、気分が白けてしまって途中で読む気が失せてくるのを抑えることができなかった。つまり宗教的な話については、初めからそれを受けいれる準備ができている人と、その内容を根拠がある話かどうかという観点から批判的に判断する人とでは、話を受け入れることに関しては全く反対の姿勢が表れるのである。私個人としては、どんなに論理的な話しぶりで語られようと、その前提となる事柄に実在の根拠がないと判断するものは受け入れる気に全くならないようになってしまっているので、私は宗教は科学的な視点から見る限りは詐欺にも等しい録でも無いものであると考えざるを得なくなっているのである。
しかし現在でも実際には宗教は大きな影響力を持っており、最近のガザに於ける武力衝突はユダヤ教陣営とイスラム教陣営との宗教戦争であって、それゆえに単純に利害の対立による国益の衝突としての戦争とは比べ物にならないくらい、仲介などによる和解的な解決が困難な戦争になっているのである。ペイゲルス女史の次の言葉がそれを良く説明している。
「今日に於いても、多くのキリスト教徒たちはーローマ・カトリックも、プロテスタントも、福音主義者も、東方正教会もー「異教徒たち」(その中には、世界中の非キリスト教徒も含まれる)を、「異端者たち」(すなわち、彼らと意見を異にするキリスト教徒たち)を、そして無神論者や不信心な者たちを、サタンと関連づけている。何百万というイスラム教徒も、これと同様の黙示録的ヴィジョンを用い、しかもその方向を逆転させる。すなわち多くのイスラム教徒から見れば、キリスト教徒にとっての神の民が、「大いなるサタン」の眷族となる。」(P277)
刷り込まれた宗教的な観念によって、ユダヤ教徒にとってもイスラム教徒にとっても、異教徒の敵は全て悪魔なのであり、抹殺するべき存在である。こうした宗教的な善悪の価値判断に関連した争いを有効に解決する道を人類は未だに見出していないのである。悪魔である相手を皆殺しにしない限りは一神教徒の間の宗教戦争は決着が付かないからである。
こうしてみると、宗教とはなんと罪作りなものなのであろうか。一神教は人間にとっては災厄そのものなのではないだろうか。
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