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2009年1月 9日 (金)

李宗吾著『厚黒学』を読んで判ったこと

 今『厚黒学』(徳間文庫)を読んでいるが、この本の日本語訳のサブタイトルが「厚かましく、かつ腹黒く生きよ」となっているので内容も随分と俗っぽい際物の本だろうと私は思い込んでいたのだが、決してそのようなものではなくて、私にとっては非常に役立つところのあった本であった。
 この本の著者李宗吾は自分が是非とも中国史に見られる英雄豪傑になりたいと考えて、まず世間で言われる儒教関係の本、更には諸子百家の人たちの本も読んでみたが、納得のいくものが得られなかったという。そしてふと三国志に描かれている英雄豪傑である劉備や曹操などを思い出して考えてみると、彼らは全く面の皮が厚いか、もしくは徹底的に腹黒い人間たちであることに思い至った、そして英雄豪傑とは実は鉄面皮で腹黒い生き方をした連中のことなのだと悟ったという。ここにおいて李宗吾は『厚黒学』というものを発明した、と書いている。
 英雄豪傑とは一国さらには中国全体を支配した皇帝となった人間たちのことである。かくして中国に於いては彼らは例外なく極端に面の皮の厚いかもしくは腹黒い人間たちであったことを、李宗吾は発見したのであった。 中国の伝統的な正統思想は儒教であり、皇帝は天子によって有徳と認められて正統な支配者としての資格を与えられ、皇帝として選ばれたと説明するのが儒教の根本思想なのであるが、これは全くの嘘であったと李宗吾は主張している。
 そして『厚黒学』を読む進む内に次のような文章を見て、私は非常に得るところがあった。つまり西洋社会に於けるキリスト教と中国社会に於ける儒教との類似性であった。まず李宗吾の文章を引用する。
 「漢の武帝の時代にいたって六経(りくけい)(易経・書経・詩経・春秋・礼記・学教)が顕彰され、他の諸子百家が排除されたことから、孔子のみが聖人と認定され、他の諸士から聖人の称号がいっせいに剥奪された。かくして孔子は御賜(皇帝から賜った)の聖人となったのである。」(P92〜93)
 これはキリスト教がローマ帝国の国教となったのと同じような事情ではないか。かくして中世の西洋ではキリスト教徒でなければ社会生きる場所がを見出せなくなったが、それと全く同じ事態ではないか。
 「漢の武帝が孔子を尊んで聖人にまつりあげて以降、天下の言論はあげて孔子一色となり、それにあえて逆らうものはなくなった。」(P104)
 儒教が中国のキリスト教のようなものであったことは、次の文章によっても明らかである。
 「中国の聖人は、専横極まりない。かれらがいわなかったことは、後人も言及することはできなかった。もしも口にすれば、たちどころに異端の烙印を押されて総攻撃を食らう。」(P105)
 儒教は宗教的な要素もあるとはいえ、異端を許さないなどというのは、西洋社会の正統宗教となったキリスト教に似た姿勢であり、こうして儒教は社会の主要な権力基盤となるイデオロギーとなり変化を許さない膠着した社会を創り出したのである。どのような社会にも常にその社会の主流となったイデオロギーが存在するのだ。そして宗教や哲学などのイデオロギーは俗社会を側面からを支える権力補助装置として機能し、俗社会の権力とイデオロギーとはお互いに強く依存しあうようになるのである。
 「学術上の黒幕は、政治上の黒幕と同断である。すなわち聖人と君主は・・・・・、いついかなるところでも持ちつ持たれつ、あい依るのである。聖人は君主の威力にすがらずしてはあれほどの尊崇はかちえなかったし、君主といえども聖人の学説によらずしては、あれほどの隆盛はなかった。」(P107)
 しかしそういう事態の中にあった皇帝制度は中国国民にとっては災いそのものであったと、李宗吾は考えている。
 「中国の人民は数千年にわたって君主の苛酷な圧迫をうけつづけた」(P107)
 権威となった思想は、哲学であれ宗教であれ、その正当性によって社会を支配しようとする。
 キリスト教に於ける異端の問題もイエスが言い出したものではなく、その後継者たちが言い出したもので、必死に異端者狩りを行い魔女裁判を行ない、大勢の信徒をキリスト教会自体が殺したのであった。他方中国では儒教が同じような立場で機能していた。李宗吾は次のように書いている。
 「孔子自身はけっしてわれわれに圧迫をくわえることはなく、また異説の禁止もとなえなかった。しかし後継を称する人びとは誰もかれも孔子をかつぎだして一切をおさえつけ、学者の意思を孔子の範囲から一歩も外に出させようとはせず、その心中にはいつも孔子が蟠踞していた。」(P108)
 この文章の「孔子」を「イエス』に置き換えても何の違和感もないであろう。
 キリスト教はその内部に哲学的な要素として神学を発展させたが、中国では宗教的な要素は道教が担い、哲学的な要素を儒教が担当するという分担であったようだ。
 『厚黒学』を読んだことによって、儒教がいかにして中国に於いて正統思想として圧倒的な影響力を持つに至ったかを知ることができたたことは、西洋のキリスト教が果たした歴史的な意味を理解する上で私には大変役立つものであった。

白川静氏の『孔子伝』(中公文庫)を読んでいたら、「体制の理論とされる儒教も、その出発点においては、やはり反体制の理論であった。』(P19)と書いていた。 これは、キリスト教が出発点においてはユダヤ教の一カルト(分派)であったことと良く類似していて面白いところであるが、しかし現代においては儒教の実社会に於ける影響力ははるかにキリスト教に及ばないところが大きな違いである。アメリカでは未だにキリスト教原理主義者が同性愛者の結婚反対や妊娠中絶反対などといって、社会的に大きな影響力を持っているのである。

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